伊吹山と不破の関   2015年07月31日


 久しぶりに訪れた標高1377mの伊吹山山頂

 猛暑を避けて久しぶりに伊吹山へ向かう。 頂上の駐車場まで後10kmの表示板を通過。  山頂は時々姿を見せるが、谷間はガスで覆われている。  伊吹山山頂駐車場に到着。 登山の前に駐車場の脇にある、 湖国では最高地に建立された観音像である「伊吹山恋慕観音」、 大垣藩在沖に詠んだ芭蕉の句碑「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」や「恋人の聖地」見て歩く。
 伊吹山のお花を尋ねて西登山道からスタート。  西登山道は整備された比較的ならだかなルートである。  登山道では、アカソ、シシウド、メタカラコウ、ルリトラノオ、キオン、オニユリ、イブキジャコウソウ、 シモツケソウ、クサフジ、ヤマアジサイ、カワラナデシコ、オオバキボウシ、コイブキアザミを見つける。  かってはシモツケソウの群生地として一面にピンクの絨毯が 敷き詰められていた辺りは、鹿の食害により淋しい限りである。  西登山道は約1kmで所要時間は約40分であるが、周りの花を長めながら倍近くかけて歩く。
 標高1377mの伊吹山山頂に到着。  伊吹山は、9年前の2006年10月28日には、麓から登ったのを思い出した。  山頂から東登山道へ向かう。  日本百名山の一つである伊吹山の1級3角点東登山道に入ると道がガスに覆われ出した。  背後を振り返ると、伊吹山の山頂もガスが架かって来た。  数え切れないほど訪れた伊吹山であるが、これが人生最後の伊吹山だと思って山を去る。

  伊吹山山頂   地図の中央の矢印が伊吹山山頂です      <滋賀県米原市上野にて>
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 この関を中心に西を関西、東を関東と云われるようになった不破の関跡

 国道21号線沿い南側に、壬申の乱(672年)当時、 不破道にあった美濃不破の関の資料を展示する「不和関資料館」がある。  不破道の不破関は東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発)関とともに「三関」と云われていた。
 資料館から南に歩くと、急坂がありその下に昔の東山道(中山道)がある。  資料館の係りの人から不破の関跡は赤い屋根の家を目指して行くように云われる。  屋敷の前には「美濃不破関」の解説版が立っている。   畿内と東国との接点であるこの地に関が置かれたとある。  以降、この関を中心に西を関西、東を関東と云われるようになった。
 不破関の関守跡と伝えられている場所は現在個人の庭園になっていて、個人住宅の門を奥へ進む。  不破関跡は一般公開されているが、門は常時開放されている訳ではなく、 資料館の係員の説明が無ければ分かりにくい。  関跡には、芭蕉の野ざらし紀行の中の一句「秋風や藪も畠も不破の関」の碑や不破の関の碑がある。  日本史上の二つの大合戦(関ヶ原の合戦と壬申の乱)が同じこの地で行われたのも興味深い。  日本書記には、壬申の乱が勃発した時、大海人皇子の舎人であった村国連男依が不破道を塞いだと書かれている。
 不破関は藤古川の左岸に自然の要害の地を利用して設置されていて、中央部を東西方向に東山道が通っている。  不破の関は789年に停廃されたが、鎌倉時代には東山道を通行する人荷から関銭を徴収していた。  不破の関跡から国道21号線を西に向かい、御所野交差点で右折すると、美濃一宮の南宮大社がある。  家光により1642年に再建された本殿など15棟の社殿と石輪橋、石鳥居は重文に指定されている。  旧国弊大社で美濃国一宮の南宮大社は全国の鉱山、金属業の総本宮である。  主祭神は金山彦命で製造業に霊験があり、現役時代は正月に度々社命で参拝した。  南宮大社には、「入試必勝願かけ絵馬垣」があり、天下分け難関校突破を願った絵馬がびっしりと置かれている。  絵馬垣を最後に帰路に就く。

  美濃不破関   地図の中央の矢印が不破の関です      <岐阜県不破郡関ケ原町松尾にて>
  南宮大社   地図の中央の矢印が南宮大社です      <岐阜県不破郡垂井町宮代にて>
不破の関と南宮大社を、下記の「不破の関と南宮大社」のボタンをクリックして25枚のスライド写真でご覧ください。  

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