四万十川と足摺岬     2015年05月26日


 須の浦展望台から、左の上松碆、右後方の甲崎、沖の大平碆の絶景を眺める

 高知市のホテル、サンビア・セリ―ズにて西四国巡回旅行の二日目の朝を迎える.  三年前に高知を訪れた時は、市街地の真ん中にあるブライトパークホテルに宿泊した。  今回は、高知市は通過地点なので、交通の便利が良い高知インターの近く、高知北環状線に面したサンビア・セリ―ズに宿泊した。
 ナビに従って、高知自動車道を使って、最初の目的地の横浪三里へ向かう、途中で間違えて伊予のインターで降りてしまった。  浦の内湾の湾口に架かる宇佐大橋を渡り、横浪黒潮ラインを走ると、「竜の浜」の駐車場がある。  竜の浜は色見崎にあり、左手には、土佐市宇佐町宇佐の宇佐漁港がある。
 竜の浜から県道47号横浪黒潮ラインを走り、横浪県立自然公園の帷子崎に到着。  帷子崎は標高77.6mの尾根が細長く海に突き出ていて、横浪黒潮ライン沿いにある展望台から海岸が望める。  帷子崎の先に横碆、右手に、手前に清吉碆、沖が大碆の岩礁群である。  後に標高106mの地ノ鼻、更に背後に、大長岬らしい丘が見える。
 横浪黒潮ラインを更に西に走ると、横浪半島の中央辺りの左手の丘の上に、須の浦駐車場があり、武市半平太の立像がある。  須の浦展望台から西を望むと、標高116mノ甲崎が南に延びていて、紺碧の湾を形作っている、 湾の中央に上松碆、後方の岬が標高116mの甲崎、沖に大平碆が続いているが見える。  横浪半島を離れて、須崎東と須崎中央インターで迷って、やっと須崎西インターより自動車道へ。

  横波黒潮ラインの須の浦展望台   地図の中央の矢印が須の浦展望台です      <高知県須崎市浦ノ内須ノ浦にて>
横波黒潮ラインの風景を、下記の「横波黒潮ライン」のボタンをクリックして27枚のスライド写真でご覧ください。  



 佐田沈下橋から四万十川名物の屋形舟を望む

 須崎西から四万十町中央までの無料区間の高知自動車道を走って、道の駅「あぐり窪川」に到着、 みるく工房のアイスクリームを食べてから、四万十川ドライブをスタートする。  国道56号線から、四万十川沿いの国道361に入る。
 川向こうに「しまんとグリーンライン(予土線)」の高架線、前方に四手の川橋が見えて来た。  予土線の鉄橋を過ぎると間もなく轟崎橋が見えて来る。 橋の手前にある道の駅「四万十大正」に寄る。  情報館で四万十川の情報を得る。 南側を流れている四万十川の川原に下りる。  この辺りは川幅も狭く水量も少ない。 渓谷と云えるほどの地形でも無い。
 道の駅を出て、四万十川の左岸を走る予土線を見ながら右岸の土佐街道を走っていると、前方に「芽吹手沈下橋」が見えて来た。  四万十川中流域の十和地区にある道の駅「四万十とおわ」に到着、ここでは四万十川名物の天然うなぎが食べれる。  下流域に入ると、四万十川名物の沈下橋の一つである高瀬沈下橋に到着、 この辺りは、川幅も広く水量も多い、確かに水は綺麗で、清流四万十川と云える。
 更に下り、交差点で佐田沈下橋の標識を見つけて、県道340号川登中村線に入り四万十川の左岸へ。  佐田地区にある今成橋は、通称佐田沈下橋と呼ばれ、四万十川最下流で最長の沈下橋である。  川幅も約300mあり、四万十市内からも近く、多くの観光客が訪れる、撮影スポットとしても有名である。  佐田沈下橋を最後に四万十川を離れ、国道321号線を走り足摺岬に向かう。

  四万十川の佐田沈下橋   地図の中央の矢印が佐田沈下橋です      <高知県四万十市佐田にて>
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 三角形や巨大石などをご神体岩として祀った唐人駄馬遺跡

 四万十川から足摺岬への県道348号足摺公園線の椿の道の途中で右折すると「唐人駄馬遺跡」がある。  唐人石巨石群散策の入口は「南のサークル」で、二つの石を中心にスト―ンサークルが形成されている。  現代の神社やお寺などの本殿に相当する超古代の山岳祭祀遺跡の磐座や直立した立石があり、 今から約4000年以上の昔、三角形や巨大石など、不思議な形をした大小様々な岩をご神体岩として祀った。
 切断面が鋭く包丁の刃状になっているストーン・スクレイバー(鬼の包丁石)には、人工的な細工は見当たらない。  円い岩の子供の亀石の左右に、、左に母、右に父の亀石がある。 ここが唐人石岩磐群で最強のパワースポットと云われている。  唐人岩の唐人とは、光り輝く神の居場所の意味で、黒潮に乗った航海人から見ると光り輝いて目印になっていた。  この辺りから、縄文時代早期(紀元前5000年頃)から弥生時代にかけての石器や土器片が多数出土した。
 地元では、この唐人駄馬遺跡を、足摺岬、竜串と共に観光の三本柱として大々的にPRしているが、 地元の人にも余り知られていない、岐阜県の金山巨石群「岩屋岩陰遺跡」の方が、解説の掲示板も多く、よりミステリアスに感じる。  ストンサークルも、紀元前3000年頃から建造されたストーンヘイジの壮観な姿が思い出され、やや、期待外れであった。  ストンサークルがある唐人駄馬公園を横に見ながら、足摺岬へ向うも、山道に迷い難渋する。

唐人駄馬遺跡   地図の中央の矢印が唐人駄馬遺跡です      <高知県土佐清水市松尾にて>
唐人駄馬遺跡を、下記の「唐人駄馬遺跡」のボタンをクリックして15のスライド写真でご覧ください。  


 四国最南端の足摺岬に立つ白亜の足摺岬灯台

 四国最南端の足摺岬に到着、早速、足摺岬縁の中浜万次郎の立像が出迎えて呉れる。  足摺岬には、四国88ヶ所霊場で、四国最南端に位置する弟38番札所の金剛福寺がある。  寺の前の道路沿いにある奇岩に目を取られたが、時間切れで寺の参拝はできなかった。
 四国自然歩道を岬に先端に向かって歩くと、足摺七不思議で弘法大師縁の「亀石」がある。  もう一つの足摺七不思議の「地獄の穴」を発見、 穴は金剛福寺まで通じていると云われているが、小石を除けて見たら、石の下に入れた硬貨があった。  足摺七不思議の「大師の爪書き石」は、岩肌に弘法大師が爪で、妙号の南無阿弥陀仏を彫ったと云われている。
 海岸の崖の上に出ると、左手に白い足摺岬灯台が見えて来た。  足摺岬は古くは嵯陀岬とも呼ばれており、先端に白亜の灯台が立っている。  足摺岬灯台は1914年に点灯され、1960年にロケット形灯台に改築された、 灯台の高さは18m、灯火標高は海面から60mの高さにある。  足摺岬灯台を眺めた後に、丘の上に建つ足摺岬国際ホテルに到着する。  弘法大師の時代から知られていると云う、あしずり温泉で汗を流し、岬周辺で獲れる魚介類の夕食をゆっくり味わう。

  足摺岬灯台   地図の中央の矢印が足摺岬灯台です      <高知県土佐清水市足摺岬にて>
足摺岬を、下記の「足摺岬」のボタンをクリックして29枚のスライド写真でご覧ください。  

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