上天気に釣られ、今年初めての1泊旅行に出かける。 琵琶湖湖畔の長浜港にある観光船乗り場へ。
長浜港から竹生島港に向かう竹生島クルーズの長浜航路に乗船する。
長浜勤労者総合福祉センター、白い建物が長浜ロイヤルホテル、2011年4月24日に登城した長浜城を後にして、
20分程乗船すると、目の前に竹生島が姿を現す。 竹生島に最後に訪れたのは、24年前の1991年7月6日であった。
竹生島の宝厳寺の観音堂は、西国33所観音霊場めぐりの30番目札所であり、流石に観光客で賑わっている。
港に上がって先ず最初に目に入るのが、竹生島を歌った琵琶湖周航の歌の4番目の歌詞を刻んだ「琵琶湖周航の歌碑」である。
竹生島は、「深緑竹生島沈影」として琵琶湖八景に選ばれている。
竹生島神社(久夫須麻神社)の鳥居を潜って、宝厳寺本堂へ。
宝厳寺の寺伝によれば、724年、行基が竹生島を訪れ、弁財天を祀ったのが起源とされ、
日本三弁財天の中でも最も古い弁財天と云われている。
湖底130mの「湖底深井の瑞祥水」で清めてから、165段の石段を登ると重文の五重石塔がある。
本堂の弁財天堂を参拝後、再建された三重塔や宝物殿を訪れ、国宝唐門の前へ。
現存唯一の大阪城の遺構である、大阪城極楽橋の唐門が現在修理中で見られないのが残念、今回訪問の最大の目的であったのに。
秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用して造られた舟廊下を通り、秀吉の「日暮御殿」が神殿として寄進された、
国宝の久夫須麻神社に参拝、かわら投げの竜神拝所から景色を楽しんだ後、
観光土産店「たつや」の「弁天芋餅」を食べて島を後にする。
竹生島
地図の中央の矢印が竹生島です <滋賀県長浜市早崎町にて>
竹生島の風景を、下記の「竹生島」のボタンをクリックして52枚のスライド写真でご覧ください。
西国33所観音霊場めぐりの30番目札所の竹生島から31番札所の長命寺へ。
途中、さざなみ街道沿いにある道の駅「近江母の郷」のお食事処「母の郷」でフルフルらーめんを食べる。
長命寺に到着、山頂の境内まで808段ある石段を登る参道があるが、今回も山道を車で登る。
駐車場から石段を登ると桃山時代の1597年建立で重文の三重塔が出迎えて呉れる。
三重塔の横には、1524年建立で、重文に指定されている本堂がある。
長命寺の参拝は、1990年以来25年ぶりの参拝である。
長命寺の本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」で、千手観音、十一面観音、聖観音の三体である。
境内にある護摩堂、三仏堂、護法権現社、修多羅岩、長命寺鐘楼、太郎坊権現社などを巡ってから義仲寺に向かう。
長命寺
地図の中央の矢印が長命寺です <滋賀県近江八幡市長命寺町にて>
長命寺を、下記の「長命寺」のボタンをクリックして17のスライド写真でご覧ください。
義仲寺はアクセスが悪く近づけなかったが、大津の西武百貨店に車を置いてやっと訪問出来る。
この辺りは、琵琶湖に面した粟津ヶ原と云い、1184年に義経により、義仲はこの地で討死した。
山門前の右手に、巴地蔵堂があり、巴御前を追福するために、石彫地蔵尊を祀っている。
山門を潜ると、先ず最初に実を付けた芭蕉が目に入り、「行春をあふみの人とおしみける」と刻んだ句碑がある。
義仲没後、尼僧が公の御墓所のほとりに草庵を結び、日々の供養をしたが、この人が巴御前だと伝えられている。
義仲寺本堂の朝日堂で本尊は聖観世音菩薩、義仲、今井、芭蕉など31柱の位牌を安置している。
正面祭壇に芭蕉翁坐像を祀っている翁堂、芭蕉翁が木曽塚ととなえた義仲公墓、芭蕉の遺言のよって、
義仲寺に葬られた芭蕉翁墓などを参拝する。
2008年6月18日に大阪市中央区久太郎町にある芭蕉の終焉の地を訪れて以来の念願の義仲寺をやっと訪れることが出来た。
西武百貨店で買い物をした後、今夜の宿である琵琶湖湖畔の総合リゾートホテル「ラフォーレ琵琶湖」に向かう。
義仲寺
地図の中央の矢印が義仲寺です <滋賀県大津市馬場1丁目5にて>
義仲寺を、下記の「義仲寺」のボタンをクリックして18のスライド写真でご覧ください。