奥能登     2014年10月30日


 50年ぶりに宿泊した輪島ロイヤルホテル八汐の前にて

 輪島ロイヤルホテル八汐で、50年ぶりの輪島の夜明けを迎える。  部屋の窓から眺める、朝日に浮かび上がる輪島港は50年前に見た風景と同じだ。
 ホテルの前から袖ヶ浜の砂浜が沖へと続いている。  50年前に、23年前に歩いたのと同じ道を歩いて木の葉トンネルの先端へ。  昔、写真を撮った同じ場所で、同じ風景を背景に記念写真を撮る。、  浜辺に沿った遊歩道を進むと、木の葉トンネルがあり、 道路が舗装されている以外は昔のままである。
 トンネルの前には、50年前には無かった、石碑があり、木の葉トンネルの文字が見える。  この辺りの海岸では、冬の能登の風物詩である波の華が見られる。  岬の先端の岩をくり貫いたトンネルを通り抜けると、 鴨ヶ浦と呼ばれる岩場が広がる、岬の北側先端に出る。
   木の葉トンネル   地図の中央の矢印が木の葉トンネルです      <石川県輪島市輪島崎町にて>
輪島の木の葉トンネル周辺の風景を、下記の「木の葉トンネル」のボタンをクリックして45枚のスライド写真でご覧ください。  


 50年前と同じ景色が広がる輪島岬先端の鴨ヶ浦

 木の葉トンネルを通って、輪島岬の先端に出ると、 海岸には岩礁が広がり、小さな入江にコンクリートの橋が架かっている、50年前と同じ風景だ。  橋から続く遊歩道を沖の方へ向かって歩く。  23年前の鴨ヶ浦は、夏の終わりで日差しが強かった。
 鴨ヶ浦遊歩道は200m程の長さで、海岸を一周出来る。  遊歩道を進むと、先方に汐見橋が見える。  50年前は橋桁の形状が下駄のようだったが、掛け替えたようだ。  鴨ヶ浦は海触によって出来た白っぽい岩場が東西400m、南北150mに渡って広がっている。  50年前に二人で、23年前には息子と一緒の三人で訪れた。
 輪島湾の西に突き出た岬が輪島岬で、その先端の海岸が鴨ヶ浦と呼ばれている。  海岸から後を振り返ると、輪島岬の日和山に、白い竜ヶ崎灯台が見える。  鴨ヶ浦には、蛇の背中を思わせる岩礁が、海の中を北東へと延びていて、大蛇礁と呼ばれている。  鴨ヶ浦の散策を終え、丘の上に戻ると、両陛下が産業御視察に来られた時の記念碑が立っている。
   鴨ヶ浦   地図の中央の矢印が鴨ヶ浦です      <石川県輪島市輪島崎町にて>
鴨ヶ浦を、下記の「鴨ヶ浦」のボタンをクリックして45枚のスライド写真でご覧ください。  


   千枚田の窮地を救った草刈十字軍の奉仕活動を記した石碑

 鴨ヶ浦から八汐ホテルの前まで戻り日和山へ向かう。  広い駐車場があるが、観光客の姿は無い。  駐車場でやっと見つけた廃道を登り、日和山の北斜面の竜ヶ崎の先端に出てると、 眼下に、鴨ヶ浦が広がり、先程の汐見橋や大蛇礁が見える。  右上に灯台が見えるが、廃道は草に覆われ近づけない。
 竜ヶ崎灯台は、藩政期には北前船の航行に活躍していた。  1965年に初点灯した無人方式の灯台で、高さは10.9m、水面から灯火までは65.8mである。  竜ヶ崎灯台から輪島市街地に向かい、河井町本町にある朝市通りへ。
 輪島朝市は、千葉県の勝浦朝市、岐阜県の宮川朝市と並ぶ日本三大朝市の一つである。  歩いているのは観光客が殆ど。 輪島朝市の歴史は古く、奈良時代まで遡ると云われている。  籠に盛られた一夜干しを見せられ、今日帰るならと勧められたが、日帰りでないと駄目らしい。  饅頭所「つかもと」の店先に人が群がっていたので、お目当ての「えがらまんじゅう」を買う。
 50年前は、輪島から狼煙へは、唯一の交通機関である乗合バスで移動した。  今回は、世界農業遺産の白米千枚田に寄る.  23年前に白米千枚田を訪れた時は、観光地として余り知られてなかった。  2001年に国の名勝に指定され、更に、2011年に世界農業遺産に指定された。  平成3年に「日本米づくり百選」、平成11年に「日本の棚田百選」に選ばれ世間に知られるようになった。
 道の駅「白米千枚田」ポケットパークには、能登は心のふるさと記された「千枚田草刈り十周年記念」の石碑が建っている。  説明文には、耕作放棄されていた千枚田を愛知県安城東高校の生徒が「草刈十字軍」として奉仕し、 千枚田の窮地を救ったとある。  草刈十字軍に参加した息子が現在の盛況を知ったら、大きな喜びを感じるだろう。  今や、「能登の里山里海」の象徴的な存在になった千枚田の道の駅で、アイスクリームを買い時国家に向かう。
   白米千枚田   地図の中央の矢印が白米千枚田です      <石川県輪島市白米町にて>
輪島朝市と白米千枚田を、下記の「輪島朝市と白米千枚田」のボタンをクリックして31枚のスライド写真でご覧ください。  


 現在は崩落して立ち入り禁止の、50年前の曽々木海岸

 千枚田から国道249号線を東に進み、県道6号宇出津町野線へ右折して、下時国家に寄る。  重要文化財の下時国家は、50年ぶりの訪問である。  分家の下時国家は本家の上時国家に対し、単に「時国家」と喧伝している。  下時国家の屋敷は江戸時代に建築され、1963年に重要文化財に指定された。
 邸宅の中に入ると、大土間の庭があり、囲炉裏がある大広間がある。  囲炉裏で焚かれた火で温まりながら、係りの人から説明を受ける。  大戸口を入ると、40坪の土間があり、1尺5寸角の太い大黒柱や巨大な梁組が古い様式の生活を偲ばせる。  時国家の初代は1185年に、能登に配流された平大納言時忠で、800年余りこの地に住み着いた。  前に下時国家を訪れた時も、同じアングルで庭園を撮っていた。   境内には、1975年に赤間神社より分霊され、建立された「能登安徳天皇社」がある。
 更に足を延ばして、上時国家も訪れる。     上時国家の邸宅は、特に高さ18mの入母屋茅葺きの大屋根が見ものである。  建物は約180年前に建造され、完成までに28年を要した。  襖には、平家の家紋である「丸にあげは蝶」の定紋が金箔で描かれている。  平大納言時忠に因んだ大納言の間は、天井は大納言の格式を表す縁金折上格天井になっている、  名勝に指定されている庭園は、鎌倉時代の様式とされ、平庭には心字池を配している。  庭園の高庭は、自然の地形を巧みに利用した独特の作風になっている。
 時国家の参観を終え、再び海岸へ。 曽々木海岸に入ると、最初に窓岩が目に入る。  2kmの海岸は奇岩の断崖美が連続する景勝地である。   曽々木海岸は能登の親不知と云われた難所として知られていた。  50年前は、大いに賑わった曽々木海岸も、先の大地震で遊歩道は崩落し、今は閉鎖されて人影もない。   今回は曽々木海岸をパスして、禄剛崎へと向かう。
   曽々木海岸   地図の中央の矢印が曽々木海岸です      <石川県輪島市町野町曽々木にて>
時国家と曽々木海岸を、下記の「時国家と曽々木海岸」のボタンをクリックして50枚のスライド写真でご覧ください。  




 能登半島先端の金剛崎にある海に突き出た空中展望台

 県道28号大谷狼煙飯田線を禄剛崎に向かって走り、千本椿展望台に到着。  展望台から眺望を楽しんだ後に、道の駅「狼煙」へ。  23年前に来た時は 木ノ浦海水公園になっている、木ノ浦海岸に下りる。  その時は、緑剛崎灯台に寄り、千畳敷と呼ばれる海食台地の狼煙海岸に降りる。  この辺りは海の難所であり、古代から狼煙台が置かれていた。
 今回は狼煙海岸もパスして最近脚光を浴びている金剛崎へ向かう。   金剛崎は珠洲岬の一部で、能登半島の先端にあり、最近は聖域の岬と云われている。  海岸近くにはランプの宿があり、最近観光地として喧伝している。
 この地は日本海の寒流と暖流が交わる場所で、人気のパワースポットになっている。  海抜30mの岸壁の上に空中展望台が建てられ、海に突き出た展望台がある。  展望台の屋上からは、金剛崎一帯が眺められるが、一目で終わってしまう風景である。  観光地としては、展望台と青の洞窟しか無く、遊歩道を岬の先端に向かうも、 海が見えるだけで特に印象的なものはない。
 河岸段岬は大地の気流、暖流と寒流が波状的に交わる自然界のパワーが集結する、 世界的にも珍しい地形と云われている。  観光資源に乏しい金剛崎では、日光が一時的に入る洞窟を青の洞窟をして公開しているが、普段は単なる洞窟である。  50年前は、珠洲市役所の近くにある「青木屋」に宿泊したが、今回は和倉温泉に直行する。
   金剛崎の空中展望台   地図の中央の矢印が空中展望台です      <石川県珠洲市三崎町寺家にて>
禄剛崎と金剛崎の風景を、下記の「禄剛崎と金剛崎」のボタンをクリックして35枚のスライド写真でご覧ください。  


 和倉温泉の加賀屋姉妹館「あやの風」の御陣乗太鼓ショー

 23年前の時は、禄剛崎から見付島がある見付海岸へ来た。  見付島は高さ28mの茶褐色の岩からなり、島の直ぐそばまで歩いて行ける。   海岸から眺めると、見付島は軍艦の船首に似ているので軍艦島とも云われている。
   50年前は見付海岸には寄らなかったが、宿の青木屋を出てタクシーに乗り、恋路海岸に来た。  恋路海岸には浜辺に寄り添う男女像があり、鍋乃と助三郎との悲しい恋物語が伝わっている。   遠浅海岸の沖に立つ鳥居の向うには、松が茂る弁天島がある。  23年前にも、恋路海岸に寄ったが、今回は見付海岸も恋路海岸にも寄らずに、 一気に和倉温泉に向かって走る。
 23年前は恋路海岸で能登半島の旅を終え福井に帰ったが、 50年前は九十九湾にも寄る。  九十九湾は、大小99の入り江があるリアス式海岸で、  東西は1km、南北は1.5kmの小さな湾であるが、海岸線は13kmもある。  当日は、生憎の曇り空で、日の光は水中に届かず呼び物の魚の姿は見えなかった。   遊覧船に乗ると、蓬莱島を眺めながら湾内を30分で一周出来る。  50年前は天候に恵まれず、期待外れだったので、今回に期待したがタイムアウトで寄れなかった。
 今回も50年前と同様和倉温泉に泊まる、  50年前は能登半島の内浦の風景を楽しんで、和倉温泉に宿泊し、翌日兼六公園に向かった。    今回は、金剛崎から一気に走り、和倉温泉の加賀屋姉妹館であるホテル「あやの風」に到着。  夕食は、輪島市名船町が発祥の地である、迫力ある御陣乗太鼓ショーを楽しみながら頂く。  50年ぶりに開湯1200年の名湯である和倉温泉の湯を楽しむ。
   加賀屋姉妹館「あやの風」   地図の中央の矢印があやの風です      <石川県七尾市和倉町にて>
能登半島内浦の風景を、下記の「能登半島内浦」のボタンをクリックして37枚のスライド写真でご覧ください。  

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