水戸城址と偕楽園     2014年03月09日


 旧水戸城の現存するただ一つの建物である旧水戸城薬師門

 関東の梅花を尋ねる旅の3日目の朝を、水戸駅前の三の丸ホテルで迎える。  ホテルの前の国道51号線を東に行くと、徳川光圀公の立像がある。  立像から北へ狭い路地を進むと、義公生誕の地があり、義公祠堂が建っている。
 丘の上に登り、堀を渡ると、本丸跡に、茨城県立水戸第1高等学校の校舎があり、 旧水戸城の現存するただ一つの建物である旧水戸城薬師門が建っている。  本丸跡から水戸城址通りを弘道館に向かって歩くと、右手に見晴台門があり、那珂川が見える。  水戸城址通りには、「水戸城跡の大シイ」「二の丸展示館」「安積澹泊像と大日本史編纂の地の石碑」 などが点在している。
 徳川頼房公の立像の前を、ガイドの案内で水戸城址通りを散策する一行が見える。  お堀に架かる大手橋を渡ると、慶喜の実父の徳川斉昭の立像がある。  水戸城址通りの終点は弘道館公園で、水戸城址の遺跡のシンボルである旧弘道館がある。
   水戸城址本丸跡   地図の中央の矢印が水戸城址本丸跡です      <茨城県水戸市三の丸3丁目10にて>
三渓園を、下記の「水戸城址本丸跡」のボタンをクリックして38枚のスライド写真でご覧ください。  


 1857年に建立され、1970年に再建された孔子廟

 水戸城址遺跡の中心である弘道館は旧水戸藩の藩校で、 徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の一つとして開設され、徳川慶喜向学の地として知られている。
 弘道館公園には60種類、約800本の梅林があり、 弘道館の周りを取り巻いているが、未だ、蕾の花が多く観光客の姿は無い。  弘道館を出て、公園を右回りに歩くと、「学生警鐘の鐘楼」「孔子廟」「鹿島神宮に因んだ要石」があり、 地元の人は、この要石が大地を抑えていたので、将か地震が起こるとは誰も思わなかったとの話だった。
 弘道館鹿島神社に参拝し、横にある八卦堂に寄る。  調練場跡には、現在、三の丸庁舎が建っていて、隣に茨城県立図書館がある。  水戸駅まで戻り、バスの一日乗車券を買って、駅前から偕楽園に向かう。
     弘道館   地図の中央の矢印が弘道館です      <茨城県水戸市三の丸1丁目6にて>
弘道館周辺の風景を、下記の「弘道館」のボタンをクリックして46枚のスライド写真でご覧ください。  

 
 偕楽園の満開の梅の花の下で水戸の梅大使と共に

 バスで偕楽園東門に向かう。 門の前に、徳川光圀、徳川斉昭を祀る常盤神社がある。  参拝を終え、東門から偕楽園に入る。 梅林は、東門の北西に広がっている。  今年は開花が遅れていて、梅林全体は色彩に乏しい。
 御成門の前にある、早咲き、白色、スモモ系の水戸の六名木の一つになっている梅「白難波」は満開だ。  今年の水戸の梅まつりは2月20日から3月31日まで開催されるので、 今年は開花が遅れているとの情報を考慮してやってきたが、未だ、早かった。
 偕楽園の表門である好文亭表門に到着する。 好文亭芝前門を経て、好文亭に。  斉昭は好文亭に文人墨客や家臣、領内の人々を集めて詩歌の会を催した。  好文亭の最大の魅力は、最上階からの展望で、偕楽園が一望に見渡せる。  東には見晴広場と千波湖、更に東には、偕楽園公園の梅林が広がっている。  好文亭の前では、満開の梅の木の下で、水戸の梅大使が出迎えて呉れた。
 公園の南斜面の梅林は、日当たりが良いせいか、開花が進んでいる。  南端を歩きながら、南崖の洞窟や大日本史完成の地を訪れ、 満開の梅を楽しんでから、千波湖へ向う。
 常磐線と桜川を跨ぐ偕楽橋を渡り、湖畔に出る。  千波湖の西岸は偕楽園公園になっていて、白鳥の姿も見える。  徳川斉昭公像と徳川光圀公像を眺めてから、好文亭の南に広がる「田鶴鳴梅林」に向かう。  未だ蕾が多く、人影も少ない梅林を進むと、梅桜橋と名付けられた、 エレベーター付の常磐線の越線橋があり、渡ると日本庭園が広がり、 大理石の吐玉泉の泉石や樹齢800年の太郎杉がある。
 再び、偕楽園に戻り、好文亭の中門から梅林に入り、東門を出てバス停に向う。  水戸駅から常磐線で上野駅へ、今夜の宿の品川プリンスホテルへ。  ホテルの部屋から、品川駅周辺の夜景を楽しんでから床に就く。
   偕楽園の好文亭   地図の中央の矢印が好文亭です      <茨城県水戸市常磐町1丁目3にて>
偕楽園の梅林を、下記の「偕楽園の梅林 1」のボタンをクリックして44枚のスライド写真でご覧ください。  
偕楽園の梅林を、下記の「偕楽園の梅林 2」のボタンをクリックして55枚のスライド写真でご覧ください。  

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