湯島天神と亀戸天神     2014年03月10日


 満開の梅花の向こうに見える、湯島聖堂の「杏壇門」

 品川プリンスホテルで、関東梅散策の最初の朝を迎える。   プリンスホテルの北に、20年前に息子の結婚式を挙げたホテルがあるが、 今は、複合施設「シナガワグース」になっている。
 品川駅から中央線の御茶ノ水駅へ行き、梅で知られている神田明神へ。  聖橋の上から神田川の上流を望む、左岸に、東京医科歯科大学のキャンバスが見える。  聖橋の左岸下流に、湯島聖堂がある。 河岸Iに降り、湯島聖堂の玄関である入徳門を潜る。  石段を登ると杏壇門があり、湯島聖堂の境内では、現在、筑波大学の「彫塑展」が開催中である。
 綱吉が儒学の新興を図るため、1690年に創建した湯島聖堂の大成殿に、 2007年に訪れて以来、7年振りの参拝する。  1797年には、幕府直轄学校として、「昌平坂学問所(昌平校)」が開設された。  湯島聖堂を出て、本郷通りを北に進むと国道17号線本郷通りの湯島聖堂前交差点に出る。  お茶の水公園を右手に見ながら本郷通りを右折すると神田明神がある。
   湯島聖堂   地図の中央の矢印が湯島聖堂です      <東京都文京区湯島1丁目4にて>
三渓園を、下記の「湯島聖堂」のボタンを クリックして29枚のスライド写真でご覧ください。  


 広重の「江戸百景」などの画題となった湯島天満宮の梅

 本郷通りに面して神田明神の鳥居があり、奥に随身門が見える。  門を潜ると、左手に参拝受付のある鳳凰殿、正面Iに日本初の本格的な鉄骨コンクリート・総漆朱塗造りの御社殿がある。  境内には、石造日本一の大きさを誇る「だいこく様尊像や獅子山に据えられている夫婦二頭の石獅子がある。  御社殿を取り巻く梅は、今、将に満開である。
 江戸国学発祥の地碑や野村胡堂の名作に出てくる銭形平次の碑がある。  神田明神を出て、平次が住んでいたと想定された本郷通りの神田明神下交差点を左折して、嬬恋坂交差点を通り、  湯島中坂下交差点を左折して中坂を登ると、湯島中坂上交差点の右手に湯島天満宮がある。  鳥居を潜ると、両側に露店が並んでいて、正面に本殿が見える。  湯島天満宮の社殿は本殿と拝殿が弊殿で結ばれている権現造りである。
 湯島天満宮の東側に、女坂と男坂に囲まれた梅園がある。 日本伝統話芸である講談高座発祥の地を示す石碑もある。   境内には300本の梅の木があり、8割が白梅である。  湯島の白梅は泉鏡花の「婦系図」の舞台として、演劇、映画、歌謡曲を通して世に知られた。  湯島天満宮を出て、中坂を歩き、東京メトロ千代田線の天神下駅から新御茶ノ水駅まで乗り、総武本線御茶ノ水駅へ。
   神田明神   地図の中央の矢印が神田明神です      <東京都千代田区外神田2丁目16にて>
神田明神の風景を、下記の「神田明神」のボタンを クリックして20枚のスライド写真でご覧ください。  
   湯島天満宮   地図の中央の矢印が湯島天満宮です      <東京都文京区湯島3丁目30にて>
湯島天満宮を、下記の「湯島天満宮」のボタンを クリックして28枚のスライド写真でご覧ください。  


 満開の梅の花越しに、亀戸天神社の本殿を望む

 お茶ノ水駅から中央本線、総武線を経て亀戸駅で降りる。  明治通りを北に向かい、蔵前橋通りに突き当たると、亀戸四丁目交差点の東南角に、 亀戸梅屋敷が再現されている。  広重が描いた浮世絵「亀戸梅屋敷」はゴッホが模写したことで知られている。
 蔵前橋通りを西に歩くと、亀戸天神の入口がある。  鳥居を潜ると正面に心字池に架かる太鼓橋が現れる、橋の上に登って天神社を見回す。  正面に御祭神を祀る本殿、右手には藤棚が広がり、心字池の前には花園社が見える。  亀戸天満宮は九州太宰府天満宮に対し、東の宰府として「東宰府天満宮」と称されていた。
 境内には300本を超す梅が植えられている。 今年は寒波到来で開花が遅れ、今が満開になった。  本殿の背景には、一昨年に訪れた東京スカイツリーが見える。  以前は亀戸宰府天満宮と称されていたが、1873年に亀戸神社、1936年に亀戸天神社のなった。
 亀戸天神社は、1661年に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉納したのが始まりと云われている。  亀戸天神社前の「八べえ」で遅いランチを頂いてから、上野駅に行き、常磐線で水戸に向かう。  2時間余り掛けて水戸駅に到着、水戸黄門三人像を眺めてから、 今夜の宿の三の丸ホテルに到着する。
   亀戸天神社   地図の中央の矢印が亀戸天神社です      <東京都江東区亀戸3丁目6にて>
三渓園を、下記の「亀戸天神社」のボタンを クリックして49枚のスライド写真でご覧ください。  

 
次ページへ

最近のウォーキングより