嬉野温泉で一番の歴史をもつ老舗旅館大村屋を出発し、島原半島へ。
海岸を左回りに走って先端に出ると、津波見の海岸に老人の顔を連想させる両子岩や
加津佐道路公園に立ったモニュメントががある。
島原半島の最南端の小早崎に口之津教会跡があり、目の前に口之津港の入り江が広がっている。
フェリーターミナルの横にある広場には、南蛮船の遊具や、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父の胸像、
口之津開港450年を記念して製作されたボードが掲げてある。
広場からは、島原湾の開口部の左に宮崎鼻、右に先ほどの赤い「なんばん橋」が見える。
更に進むと、島原の乱の時に築いた空堀や犠牲者の霊を慰めた「ホネカミ地蔵」があり、
天草四郎の墓碑や北村西望作の天草四郎像があり、広場には白い十字架の塔が立っている。
3万7千人々が88日間立て篭った後で殉死した原城跡には、島原湾を望む丘の上に3体の石仏が佇んでいて、
当時の喧騒を僅かに伝えている。
原城跡
地図の中央の矢印が原城跡です <長崎県南島原市南有馬町乙にて>
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原城址から島原街道を北上し、「湯楽里」を過ぎる辺りで、普賢岳が見えてきた。
前回の旅行で遠望しただけの島原城に向かう。
1964年に再建された天守閣は独立式層塔型5重5階である。
武将姿の御もてなし隊に出迎えられて記念写真を撮った後、堂々たる姿の天守閣の周りを一周し、再建された丑寅の櫓、
西望記念館、観光記念館などを見え歩く。
島原城主として最後まで、13代続いた松平氏は、子供の頃から良く知っている深溝出身の深溝松平で、
紫陽花で知られている菩提寺は、何度も訪れたため、島原城は特に親近感を持っている。
城内に入り、キリシタン関係の資料などを見学した後、最上階の展望室へ。
売店や観光復興記念館の向こうに普賢岳、左に目を移すと、西の櫓、長崎地方検察庁、島原図書館の建物が続く。
西望記念館の後ろには大手川が島原湾に注いでいる。
東を望むと、大通りの正面に島原鉄道の島原駅が見え、民俗資料館から左奥に、
島原文化会館、島原商高のグランドを経て最初の普賢岳に戻る。
島原城のパノラマとを最後に、1週間に渡った、北西九州の旅を終え、長崎教会群を記憶に留め、
長崎空港でレンターカーを返して、セントレアに向かう。
島原城
地図の中央の矢印が島原城です <長崎県島原市城内1丁目にて>
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