「日本三美人の湯」と称されている湯の川温泉の草庵で、
24時間掛け流しの温泉で朝風呂に浸かったあと、「荒神谷遺跡」に向う。
荒神谷史跡公園に到着、この地で1984年に古代史を書き換える大発見があった。
「荒神谷博物館」では地元の小学生が、銅剣や銅鐸の出土状況などを、
学芸員の説明を聞いていたので序に傍聴する。
これまでの国内での、全出度数を上回る、358本の銅剣が、一度に出土した現場に向かう。
地元では、銅剣が発見された1984年7月12日に因んで、その日を「ひかわ銅剣の日」に制定している。
更に、銅鐸6個と銅矛16本が出土したことが、これまでの定説を覆すことになった。
発見された銅剣は国宝に指定され、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。
荒神谷遺跡
地図の中央赤い「+」印が遺跡の場所です <島根県簸川郡斐川町大字神庭にて>
荒神谷遺跡の風景を、
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荒神谷から、次に、大発見となった加茂岩倉遺跡へ、ここは人影も無く、乗ってきた車が目立つ。
1996年10月4日に、銅鐸が農道整備工事中の重機のバケットの中から発見された。
発見された39個の銅鐸は、滋賀県野洲市大岩山遺跡の24個を大幅に上回る、出土数の新記録であった。
弥生時代中期の製作と考えられ、荒神谷遺跡と合わせ、古代出雲王国の存在を提示した。
発見された銅鐸は国宝に指定され、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。
加茂岩倉遺跡の南、斐伊川の支流赤川の河畔に神原神社がある。
この神社は元は、神原神社古墳の上に建てられていた。
1964年に赤川の改修工事にともなう移転で、石室の中から卑弥呼の鏡と云われる、
景初三年の年号を記した三角縁神獣鏡が出てきた。
現在までに、三角縁神獣鏡は500枚余りも出土したが、景初三年の年号を記した鏡は2枚だけで、
重文に指定され、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。
加茂岩倉遺跡
地図の中央赤い「+」印が遺跡の場所です <島根県雲南市加茂町岩倉にて>
神原神社
地図の中央赤い「+」印が神社の場所です <島根県雲南市加茂町神原にて>
加茂岩倉遺跡と神原神社古墳の風景を、
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清水寺三重塔尊隆上人
出雲散策の最後は、安来市清水町の清水寺へ。
清水寺は587年に尊隆上人によって創建された天台宗の古刹である。
参道の石段は大門までが108段、三重塔まで333段ある。
最初に、樹齢数百年の杉に囲まれた重文の根本堂が現れる。
根本堂の右手に護摩堂、後に鐘楼がある。
銅鐘には1421年の銘がある。
清水寺三重塔は山陰では唯一の三重の塔である。
清水寺を最後に、4日間の出雲の散策を終え、米子自動車道に入る。
清水寺
地図の中央赤い「+」印が清水寺の場所です <島根県安来市清水町にて>
清水寺の風景を、
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