荒神谷と加茂岩倉遺跡      2010年06月02日


 今までの全出度数を上回る銅剣が出土した現場(左)

 「日本三美人の湯」と称されている湯の川温泉の草庵で、 24時間掛け流しの温泉で朝風呂に浸かったあと、「荒神谷遺跡」に向う。
 荒神谷史跡公園に到着、この地で1984年に古代史を書き換える大発見があった。  「荒神谷博物館」では地元の小学生が、銅剣や銅鐸の出土状況などを、 学芸員の説明を聞いていたので序に傍聴する。
 これまでの国内での、全出度数を上回る、358本の銅剣が、一度に出土した現場に向かう。  地元では、銅剣が発見された1984年7月12日に因んで、その日を「ひかわ銅剣の日」に制定している。
 更に、銅鐸6個と銅矛16本が出土したことが、これまでの定説を覆すことになった。  発見された銅剣は国宝に指定され、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。
荒神谷遺跡    地図の中央赤い「+」印が遺跡の場所です               <島根県簸川郡斐川町大字神庭にて>
   荒神谷遺跡の風景を、  下記の「荒神谷遺跡」のボタンをクリックして、17枚の写真でご覧ください。

 
加茂岩倉遺跡神原神社神原神社古墳卑弥呼の鏡景初三年  39個の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡(左)

 荒神谷から、次に、大発見となった加茂岩倉遺跡へ、ここは人影も無く、乗ってきた車が目立つ。
 1996年10月4日に、銅鐸が農道整備工事中の重機のバケットの中から発見された。  発見された39個の銅鐸は、滋賀県野洲市大岩山遺跡の24個を大幅に上回る、出土数の新記録であった。
 弥生時代中期の製作と考えられ、荒神谷遺跡と合わせ、古代出雲王国の存在を提示した。  発見された銅鐸は国宝に指定され、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。
 加茂岩倉遺跡の南、斐伊川の支流赤川の河畔に神原神社がある。  この神社は元は、神原神社古墳の上に建てられていた。  1964年に赤川の改修工事にともなう移転で、石室の中から卑弥呼の鏡と云われる、 景初三年の年号を記した三角縁神獣鏡が出てきた。
 現在までに、三角縁神獣鏡は500枚余りも出土したが、景初三年の年号を記した鏡は2枚だけで、 重文に指定され、島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。  
加茂岩倉遺跡          地図の中央赤い「+」印が遺跡の場所です            <島根県雲南市加茂町岩倉にて>
神原神社          地図の中央赤い「+」印が神社の場所です              <島根県雲南市加茂町神原にて>
 加茂岩倉遺跡と神原神社古墳の風景を、  下記の「加茂岩倉遺跡と神原神社古墳」のボタンをクリックして、30枚の写真でご覧ください。
清水寺三重塔尊隆上人


 清水寺に建つ山陰で唯一の三重塔(左)

 出雲散策の最後は、安来市清水町の清水寺へ。  清水寺は587年に尊隆上人によって創建された天台宗の古刹である。
 参道の石段は大門までが108段、三重塔まで333段ある。  最初に、樹齢数百年の杉に囲まれた重文の根本堂が現れる。
 根本堂の右手に護摩堂、後に鐘楼がある。  銅鐘には1421年の銘がある。  清水寺三重塔は山陰では唯一の三重の塔である。
 清水寺を最後に、4日間の出雲の散策を終え、米子自動車道に入る。
清水寺    地図の中央赤い「+」印が清水寺の場所です               <島根県安来市清水町にて>
   清水寺の風景を、  下記の「清水寺」のボタンをクリックして、22枚の写真でご覧ください。

 
次ページへ

最近のウォーキングより