大山寺           2006年10月10日

 
    奈良時代に創建された、天台宗の古刹である大山寺(左)   

 大山に登頂後、大山寺へ。  天台宗別格本山、角磐山大山寺は、718年に開山された古刹で、両側に、旅館、食堂、土産物店が立ち並ぶ、 立派な参道を登ると、奥に朱塗りの本殿がある。
 奈良時代、金蓮上人が寺を建て、地蔵菩薩を祀り、修験の道場として開かれたのが始まりと言われている。  その後、平安時代になり高僧慈覚大師が教えを広め、天台宗の寺に属した。
 山岳仏教の発達とともに強大な勢力を誇り、江戸時代には3塔42院の堂宇を数えたが、 江戸時代の神仏分離で、奥宮が分離され、火難で衰退した。  朱塗りの本堂は昭和26年に再建されたものである。
   大山寺  地図の中央「+」印が寺の場所です
 <鳥取県西伯郡大山町大山にて>

                       
 「後向き門」と呼ばれている大神山神社奥宮神門(右)

 参道の途中にある大神山神社奥宮神門は、単層、桧皮葺、四脚の向唐門で、 江戸時代末期の技法が豊かな門である。  石柱に、1857年に寄進されたとの銘記がある。
 神門の表裏が反対になっているので、「後向き門」と言われている。  奥宮とともに、国の重要文化財に指定されている。  

 <鳥取県西伯郡大山町大山にて>  




 
    以前は大山寺本社であった大神山神社奥宮(左)   

    この奥宮には、国の重要文化財に指定されている、1805年に創建された、国内最大級の権現造りの立派な社殿がある。  大神山とは大山の古名で、大国主命(大黒さま)を祀ってある。  神社の人のお話では、古事記は「出雲風土記」にある「国引き神話」を引用したのであり、その舞台の中心が大山で、主人公が 大国主命だと言う(関裕二の古代史謎解き紀行U出雲編では大国主命の祖父になっている)。
 古代史に興味のある人なら誰でも知っているが、ヤマト発祥の地と考えられる三輪山をご神体とするオオミワ神社は 大神神社と書き、同じ大国主命を祀っいる。  卑弥呼の墓だとの説もある、箸墓古墳に祀られている百襲姫も、大国主命に仕えたとの伝承がある。  ヤマト建国と出雲(大山)のかかわりは、私にとっては、深い謎に包まれた興味深い関心事である。
 明治になるまでは、大智明権現と呼ばれ、大山寺の鎮守社であったが、明治初期の神仏分離令により、 米子市尾高にある、大神山と呼ばれる大山を神として祭る大神山神社の奥宮になった。

   大神山神社  地図の中央「+」印が神社の場所です

 <鳥取県西伯郡大山町大山にてにて>

 
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