紀伊大島             2006年5月31日


    森戸崎の東に広がる荒船海岸(左)   

 宿の「あらふね」の近くに串本町田原の漁港がある。 港の東側に海へと森戸崎がのび、そこから東が 田原の海霧として、写真愛好家には知られている荒船海岸 が続いている。  広い範囲に渡って、奇岩が広がっているが、地元の釣人が訪れる程度で、観光地としては余り知られていない。  

  <和歌山県東牟婁郡串本町原田にて>

 荒船海岸 地図の中央「+」印が海岸の場所です


             奇岩が連なる橋杭岩(右)













 荒船海岸とは対称的に、観光バスが引っ切り無しにやってくる、知名度が高い、 橋杭岩へ。  隣で、奇岩を眺めていた婦人が、「これって人が造ったの」と聞いていたが、 自然の造形とは思えないほどの自然石だ。  定規で測って、一列に並べたような石群は海の下で繋がっている平板の一枚岩で出来ている。  水成岩の層で出来た隙間に溶岩が流れ込んで出来た硬い岩が、周りの侵蝕で残った結果らしい。

<和歌山県東牟婁郡串本町くじ野川にて>

 橋杭岩 地図の中央の「+」印が岩の場所です




 トルコの軍艦が遭難した樫野崎沖の岩群(右)

 苗我島に架かる「くしもと大橋」を渡って、紀伊大島最東端にのびる樫野崎へ。  この地は、現在でも友好関係が最良なトルコの軍艦「エルトゥール号」が遭難した地として知られており、 トルコ記念館や トルコ軍艦遭難記念碑がある。  最初に、トルコ記念館を訪れたら、先客は誰も居らす、手持ち無沙汰にしていた係員が、 展示品からトルコと日本との関係など、至極丁寧に解説してくれた。  その後、記念館の屋上に上り、樫野崎沖の岩を眺め、あの岩で遭難したのだと認識する。  トルコ軍艦遭難記念碑に参拝後、日本最古の回転式灯台である、 樫野崎灯台に向かう

<和歌山県東牟婁郡串本町樫野にて>

 トルコ軍艦遭難記念碑 地図の中央の「+」印が記念碑の場所です


         鷹ノ巣岬にある日米修交記念館(右)









 樫野崎の次は、 日米修交記念館 のある鷹ノ巣岬へ。  この地の樫野浦に、1583年のぺりー来航を遡る62年前に、米船のグレイス号が訪れ、日米初の接触した事実が文献に残されている という。  この記念館を訪れた時も我々だけで、係りの人が展示品を一つ一つ丁寧に解説してくれた。  このような暖かい対応は旅の喜びの一つでもある。  

  <和歌山県東牟婁郡串本町樫野にて>

 日米修交記念館 地図の中央「+」印が記念館の場所です



 鷹ノ巣岬から海金剛を望む(右)

  



 鷹ノ巣岬の東には「21世紀に残したい 日本の自然百選」に選ばれた 海金剛がある。  白い灯台が立つ樫野崎を背景に、鋭い三角錐の岩が海面よりそそり立つ景観は、一見に値する絶景であった。  その尖った岩の上に一匹の鳥が羽を休めていた。

  <和歌山県東牟婁郡串本町樫野にて>

  海金剛 地図の中央「+」印が海金剛の場所です


    金山展望台から橋杭岩を望む(右)












     6年前まで、巡航船が串本との間を行き来していた大島港を覗いてから、引き返えす。、 金山展望台登山口の駐車場に標識があり、 「約1kmの登山コースを登ると、標高90mの展望台がある。 眼下には橋杭岩、串本の街並、潮岬台地、古座川、 太地、那智山が一望できる」と書かれている。  観光客でここまで行く人は少ないらしいが、日頃の山歩きに比べれば大したことではないので挑戦することになる。  やがて、左手に、先ほどの大島港が見えてくる。  更に、山頂まで登ると、対岸の本州が見え、朝、向こう岸から眺めた「橋杭岩」が海の中にのびて見える。  山頂から、更に東に歩くと、景色が一番良いところで終点になっていた。  

<和歌山県東牟婁郡串本町大島にて>

  金山展望台 地図の中央「+」印が展望台の場所です





   望楼の芝生にある本州最南端の碑(左)

   潮岬灯台(右)

 再び、くしもと大橋を渡って、潮岬へ。 最初に、潮岬観光タワーに上り、「本州最南端訪問証明書」を受け取り、 前の望楼の芝の南端にある「本州最南端の碑」の前で記念写真を撮る。  次に、樫野崎灯台と共に、開国後、江戸条約で建設された8基の内の一つである、 潮岬に立つ、潮岬灯台へ。  岬の先端から、熊野灘を眺めてから、帰路に着く。

  潮岬灯台 地図の中央の「+」印が

  灯台の場所です

  <和歌山県東牟婁郡串本町潮岬にて>

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