荒子城趾と荒子観音寺       2005年3月16日





         3年前テレビで舞台となった荒子城趾                    前田利家生誕碑

 荒子城趾は名古屋市中川区荒子町の利家ゆかりの史跡を結ぶ「犬千代ルート」の途中にある。  荒子城は、天文年間、前田利昌の築城と伝えられ、規模は狭い平地に柵と堀が設けられた、 砦程度のもので、城内には富士権現社と天満宮が祀られ、今も残っている。
 加賀百万国の藩祖、前田利家は1537年、利昌の四男としてこの地に生まれたと 言われている(前田城の異説もあり)。  幼名は犬千代、15才の時織田信長に仕え、22才の時、10才下のまつ(愛知県七宝町生まれ)と結婚し、 33才の時、荒子城主となった。
 平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ〜」が放映され、中川区で結成された「前田利家発信隊」の人々が ガイドをしてくれる。
 大河ドラマの熱も冷め、2人で静かな境内を散策していたら、上品な紳士に「何処から来られましたか」 と声を掛けられ、荒古城趾の歴史から、観音寺の円空の仁王像まで丁寧に解説をして頂いた。

     荒子城趾の場所 地図の中央「+」印が城趾の有る場所です

<奈良県明日香村にて>







          前田利家の菩提寺の荒子観音寺                  観音寺の円空作の仁王(吽像)

 「犬千代ルート」を東に進むと、荒子観音の名で知られている観音寺がある。  729年、泰澄の草創といわれ、自性上人を開山としている。 永禄年間(1558年〜)、全運が現在の地に 移して再興したが。 更に、1576年、荒子城主前田利家が府中に移るとき、 本堂を再建した。 江戸時代は尾張四観音の一つとして栄えた。
 本堂は極めて簡素で、本尊の木造観世音菩薩立像が祀られている。  山門は本瓦葺・三間一戸の楼門で、左右に高さ約3mの円空作の金剛、天王力士像が安置されている。  この寺は、円空が度々立ち寄ったとのことで、1973年に多宝塔から円空作の千面菩薩像が 1020体余発見され話題になったと言う。  境内には、重要文化財に指定されている 多宝塔 がある。 

 荒子観音寺の場所 地図の中央「+」印が寺の有る場所です

<愛知県名古屋市中川区荒子町にて>



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