飛鳥京遺跡と島庄遺跡       2005年3月12日





       飛鳥京跡第153次調査現地説明会で並ぶ人々                飛鳥歴史公園祝戸地区展望台から飛鳥の里を望む

 新聞報道で12日に、飛鳥京跡第153次現地説明会が行われるとのことで、インターネットで調べたら、 同じ日に、蘇我馬子の屋敷跡と推定される島庄遺跡の現地説明会もあると知り、早速出かけることになる。  東名阪の天竜東インターで降り、県道51号天理環状線を南下すると、佐保庄町で行き詰まりになる。
 新設道路工事で、この地にある前方後方墳の「ノムギ古墳」 (東海地方が発祥の地である前方後方墳)が築造年代が3世紀後半の古墳時代前期前半との 可能性が出てきたため、俄然注目されることになり、一昨年の秋に現地説明会を聞いた所である。
 明日香村に到着し、岡寺の駐車場に車を置いて、現地説明会の場所に駆けつけた頃は、長い列が出来ていた。  1時間余りも待たされたが、この時間に一緒に並んだ人々と考古学談義をするのも楽しい一時である。  豊橋から来られたという人は、過日話題になった東北の旧石器遺跡を隈無く訪れたと言い、兵庫から来られた人は、 三河の古墳群に付いて、地元の私より詳しいのは、恐れ入った次第である。  それにしても、現地説明に駆けつける人々の知識の深さにいつも驚かされる。
 飛鳥宮跡は舒明・皇極・斉明・天智・天武・持統の5人6代の天皇の宮が置かれた所で、 今回の153次調査で、三期(斉明・天智の後飛鳥岡本宮656年〜、天武・持統の飛鳥浄御原宮672年〜) の内郭中枢の建物や大規模な石敷広場、池状遺構が発見された。
 この飛鳥京跡の北側には、日本最古の本格的庭園遺稿「飛鳥宮庭園跡」 があり、現地説明会を聞いたところである。
 飛鳥京跡で説明を受けた後、次の現地説明地点の馬子の墓と言われている石舞台の横にある 島庄遺跡に向かったが、昼休みになったので、「夢市」で昼食。  その後、祝戸地区にある国営飛鳥歴史公園の丘に登り、東展望台から西展望台を歩いて、香具山や耳成山を 背景に青いテントを張った現地説明会場を望む。

     飛鳥宮遺跡の場所 地図の中央「+」印が遺跡の有る場所です

<奈良県明日香村にて>







    蘇我氏の屋敷跡の島庄遺跡の現地説明会を聞く人々                      西国33観音7番霊場の岡寺

 島庄遺跡は嶋大臣と呼ばれていた蘇我馬子について、日本書紀に「飛鳥河の傍らに家せり。  乃ち庭の中に小なる嶋を池の中に興く。 故に、時の人、嶋大臣と曰ふ。」とあるように、 蘇我馬子の邸宅跡であると考えられている。  今回の発掘で、予想を超えた大きな建物群が見つかった。  

 現地説明を受けた後、岡寺に戻り、久しぶりに岡寺に参拝する。  この寺は寺格は高いが、石楠花以外に見る物に乏しい。  雲行きが妖しくなったので、急いで帰路に就いたら、案の定、東名阪で猛吹雪に会い、 午後の暖かい時間でなかったら、雪で立ち往生するところであった。

 島庄遺跡の場所 地図の中央「+」印が遺跡の有る場所です

 岡寺の場所 地図の中央「+」印が寺の有る場所です

<奈良県明日香村にて>

現地説明配布資料 飛鳥宮跡第153次調査(奈良県立原考古学研究所) 島庄遺跡(明日香村教育委員会)



玉城町を歩く

最近のウォーキングより