三河新四国(2)    2001年7月17日

 第35番札所大神光二村山法蔵寺(左)

 法蔵寺は文武天皇の祈願所として出生寺と言われてきたが、松平親氏が現在の名称に改めた。 家康が幼少の頃、ここで文字を習っており、書き直しの紙を乾かすため利用した御草掛松もある。

 境内には、山梨県勝沼で首を切られた新選組隊長の近藤勇の首塚がある。由来書によると、法蔵寺の貫主が 京都から三河に移したと言う。

<岡崎市本宿町寺山にて>

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