小笠山(264m)と高天神山(132m)    2007年1月30日

 
    小笠池から小笠山と無線中継所を望む(左)

 本年2回目の富士山参拝を目論んだが、余りの上天気で気温も上がり春のような季節になって、嫌な予感がした。  予想通り、豊川の検札所の手前どころか、
浜名湖の上からも、東の空が霞んで、富士の姿が確認出来ず。  袋井インターから、県道251号袋井小笠線を走る。 法多山の横を通って、県道249号掛川大東大須賀線と合流する地点に、 「小笠山憩いの森入口」の標識がある。
 道標に従って、北上すると、小笠神社前の駐車場に出る。  石段を登り、神社に参拝後、展望台へ。 途中に「笹峰御殿跡」がある。  ここは、徳川家康が、1569年に掛川城、1581年に高天神城を攻めたときに、陣屋があった所である。
 展望台から富士山を探すも、有るべき位置に、微かに富士山らしきものが見えるが、雲と判別が出来ない。  4等三角点がある小笠山山頂で、更に富士山を探すが今日は駄目であった。
 山頂下の多聞神社に参拝後、無線中継所に向かうも、「この先、小笠池にいくことはできません」と書かれた標識がある。  差しあたって、無線中継所に向ったが、途中で、小笠池に降りる道は通行不能になっていた。
 案内板に書かれたハイキングコースを頼りに、無線中継所から引き返し、隧道経由で小笠池へと書かれた標識に従い、 下りかけると、ここにも、「危険につき通行禁止」の標識が有る。  登山の装備をしてきたので、行ける所までと進むと、確かに、両側が切り立ち、ハイキングの装備では無理と思える、キレット状の難所があり、 この場所が、危険で通行禁止ということらしい。
 その後も、山道は羊歯で覆われ登山道を歩く気分だ。  林道に辿り着くと、トンネルがあるので気軽に潜るも、続けてある次のトンネルは出口までが遠く、中に入ると真っ暗で何も見えない。  出口の明かりを目標にして、目を塞がれたような感覚で、足元をストックで探りながら、一歩一歩進む。
 常時、携帯電灯をリュックに入れておくも、里山の低山登山と侮って今回は持って来なかったことは、最大の不覚であった。  やっとのことで、トンネルを通り過ぎると、小笠池が目の前に広がる。  池の向こうには、先ほど歩いた小笠山や無線中継所が見える。
 小笠山 地図の中央「☆」印が山頂の場所です             
 <静岡県袋井市豊沢にて>
 下記の「小笠山」のボタンをクリックして、19枚の写真で、畝傍山周辺の風景をご覧ください。



 高天神城址の馬場平から御前崎を望む(右)

 小笠山登頂後、更に足をのばして、武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた「高天神城」がある高天神山へ。  北口駐車場から「搦手門址」を通り、切り立った崖の横の石段を登ると、「三日月井戸」がある。  その上の「井戸曲輪跡」から城址は左右に広がっているが、右手に行くと「西の丸跡」があり、その上に高天神神社がある。  神社の裏には敵の攻撃を防御するための「切割」が施され、更に登ると「馬場平」に出る。  そこからは、先ほど登頂した小笠山や御前崎が望まれる。  奥には、「犬戻り猿戻り」と呼ばれる「甚五郎抜道」がある。  井戸曲輪跡まで戻ると左手に、「袖曲輪跡」や「二の丸跡」があり、絶壁の下に先ほどの石段が見える  井戸曲輪跡から左手に登ると、「大河内政局石牢道入口」の道標があり、政局が武田勝頼により幽閉され、 足掛け8年後に家康に助けられた石牢がある。  石窟の上には「的場曲輪跡」「本丸跡」「帯曲輪跡」[元天神社址] 「御前曲輪跡」と続き、先端に「三の丸跡」がある。  三の丸から「到着櫓跡」を経て、「追手門跡」に出ると、その先に南口駐車場がある。  周りの梅ノ木は花を咲かせ、一月なのに、もう春の到来を告げている。
   高天神山  地図の中央「☆」印が山頂の場所です
 <静岡県掛川市下土方にて>
 高天神山周辺の風景を、下記の「高天神山」のボタンをクリックして、26枚の写真でご覧ください。


次ページへ

21世紀からの山歩き