三上山(432m)
2006年6月4日
登山者で溢れている三上山山頂(左) 頂上奥宮の正面にある、神が宿る奥津磐座(右)
今日は滋賀県が晴れとの天気予報で、兼ねてから計画していた三上山を目指す。
名阪は現在リフレッシュ中であるが、土日は中止で栗東インターまで順調に走行できたが、何処も車と人が溢れていた。
御上神社の駐車場に車を止め、神社の神体山である三上山へ。
この山は、優美な姿から、近江富士の名で親しまれているが、俵藤太の百足退治伝説の舞台になった山で、
「むかで山」とも呼ばれている。
国道8号線を横切り、登山口の標識に従って進むと、表と裏の登山口に着く。
緩やかな裏登山道を登ると、天保一揆の犠牲者を顕彰した天保義民碑がある。
そこからは単調な登りの杉林が続く。 上から続々と人が降りてくるが、多くの人がハイキングスタイルの軽装である。
視界が開けるともうそこは山頂だ。 狭い山頂には、多くの人が犇いていて、シーズンをやや過ぎているのに、
この混雑をみて、人気の山であることを認識する。
山頂の東の切り立った崖の上にある展望台からは、栗東町が眼下に見渡せた。
湖南アルプスまでは遠望できたが、琵琶湖や比良山系は霞んで見えた。
山頂と展望台の間に、御上神社の奥宮があるが、その正面にある岩盤は奥津磐座(磐鞍)と呼んで神宿る神磐と言われている。
確かに、良くみると、磐の周りに注連縄を思わせる一本の縄が巻かれている。
そんな神聖な場所とは知らず、二人の子供が磐の上で無邪気に遊んでいた。
下りは、やや急な表道を一気に降りて駐車場へ。
<滋賀県野洲市三上>
三上山 地図の中央「+」印が山頂の場所です
重文に指定されている御上神社楼門(左) 銅鐸博物館の横ある弥生の森歴史公園(右)
8年前に訪れた御上神社
の記憶では、もっと大きな神社だと思っていたがこじんまりとしていた。
この神社は歴史的には実在が否定されている孝霊天皇の時代である、2200余年前に、天照大神の御孫に当たる、
天之御影神が三上山に御降臨されたのに端を発すると言われている。
境内には鎌倉時代建立の、国宝の本殿があるが、現在修理中で建物が覆われていて全貌を見ることが出来なかった。
そのほか、重文として平安時代建立の拝殿、鎌倉時代建立の楼門などがある。
神社の参拝を終えてから、前回も訪れた銅鐸博物館へ。
この8年間に考古学や記紀などの本をかなり読んだので、前回に比べて大いに興味を覚え、館内をゆっくり巡回する。
博物館を出て、隣の弥生の歴史公園を散策した後、岐路につく。
帰りの東名が事故で大渋滞したので、大垣から揖斐川の堤防を走り、伊勢湾道路経由で帰る。
<滋賀県野洲市>
銅鐸博物館 地図の中央「+」印が博物館の場所です