竜頭山(752m)         2006年3月25日




       美しい桧林の向こうに点で見える人の姿(左)                人影も見られない寂しい竜頭山山頂(右)

 昨年の「愛・地球博」の協賛イベントの一環として、「奥三河名山八選」が指定され多くの人に楽しまれている。  その一つである明神山に先日登頂したが、二日後に愛好者団体による最終の登山会が開催されたとの 新聞報道があった。  八選は新城市などの旧市町村から一つづつ選ばれ、作手村の竜頭山がその一つになっている。  竜頭山は未整備の訪れる人が少ない山であったが、表示板も「八選」では、スタイルが統一され新設されているので、 好天気の下、期待して国道420号線から県道35号線に入り、バス停「小滝」近くで停車して、ガイドブックに従い、小川に架かる 赤い鉄板を探す。
 分りにくい、登山口で「奥三河名山八選」の標識板を見つけて、登山開始、桧林の中の急坂を「小竜頭」への分岐点まで一気に上る。  そこから、山頂までは高原歩きの道だ。  「森林浴を満喫! 竜頭山コース」と名付けられたこの登山道は、良く手入れされた、櫛のように並んで広がる桧の林の中を歩く。  竜頭山山頂まで、全く眺望がなく、森林浴が唯一の売り物らしい。  標識が無ければ通り過ぎてしまいそうな山頂の先に、ガイドブックにはない「大竜頭」へ20分の標識がある。  元気一杯の男女の熟年パーティーが先行したので後に続く。
 今までの歩きやすい登山道が、突然未整備の急坂の下りになり、狭い暗部の前に小さい突山が現れる。  木を掴みながら登ると、この小山の上が「大竜頭」でこの先は危険との標識に、再び竜頭山頂まで戻る。  静かな日溜りで昼食後、標高651mの「小竜頭」に向かう。  両端が切れ落ちた稜線を進むと、今日、唯一の展望が楽しめた「小竜頭」の上に出る。
 眼下に当貝津川や支流の小滝川沿いの集落が見える。  右手に見えるのが、宇連山だろう。  展望を楽しんだ後、一気に登山口まで降りる。  

 竜頭山 地図の中央「+」印が山頂の場所です

  <愛知県新城市愛郷>        


   宮城谷昌光の「古城の風景」 E 長篠城址

 


       二の丸帯郭の堤に立つ長篠城址の碑(左)                  長篠城址本丸跡、左が資料館(右)

 竜頭山登頂の帰りに、久しぶりに長篠城址に寄る。  暫く、NHKの大河ドラマに取り上げられていないせいか、好天候にも拘わらず、 公園内は閑散としていた。
 長篠城は1508年今川氏親の部将であった菅沼元成が築く。  所謂、山家三方衆の一つである長篠菅沼氏の誕生である。  1561年、今川義元死後、菅沼貞景が松平元康(家康)に属し、 1571年には菅沼正貞が武田信玄に属し、三方原の戦いに参加するなど、 数奇な運命を辿る。
 1573年に徳川家康が長篠城を奪回し、奥平貞昌に城主を任命し、 1575年5月21日に長篠城包囲攻撃設楽はら決戦を迎えることになる。  1576年廃城となって現在に至る。  

 長篠城址 地図の中央「+」印が城址の場所です

  <愛知県新城市長篠>

   宮城谷昌光の「古城の風景」 D 五井城址      2006年1月11日

   宮城谷昌光の「古城の風景」 C 野田城址      2006年1月8日

   宮城谷昌光の「古城の風景」 B 桜井城址      2006年1月2日

   宮城谷昌光の「古城の風景」 A 石巻山城跡     2005年12月29日

   宮城谷昌光の「古城の風景」 @ 宇利城址      2005年2月23日    

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