汾陽寺山(520m)     2005年4月17日






              春日局縁の汾陽寺(左)                             汾陽寺山登山道を彩るコミツバツツジ

 猛威を振るう杉花粉を避けて、1ヶ月半余り山歩きを避けていたが、桜の花に誘われて開通した東海環状自動車道路 を走り、美濃インターから汾陽寺山へ。 麓にある汾陽寺は1441年土岐氏斎藤利永の創建。 春日局の父、斎藤内藏助利三と縁があり、 春日局がしばしば参詣したと伝えられ参道として「お局道」が残されている。  お局道を登り、汾陽寺に参拝してから、左手の登山道へ。 里山らしく、登山道の標識は一切見られず、僅かに赤いテープが有るのみ。  ガイドブックの説明が無ければ、これが登山道かと心配になる坂道を登ると、尾根に辿り付き、そこからは明瞭な踏み跡が続く。  もう、花の季節か、スミレやショウジョウバカマに加え、鮮やかな躑躅が登山道を彩ってくれる。
 Uターンのような分岐点が現れ、先行したお連れさんがそのまま山頂と反対の方に行った可能性もある。  道に迷ったペアーが山頂から下りて来て、誰にも会わなかった言うので、探しに行って連れ戻す。  地図を確認してペアーと一緒に山頂へ。 杉花粉の心配は全くの杞憂。 風は爽やか、空気は透き通って 爽快そのもの。 一宮から来たというペアーの話では、一酸化窒素が問題で、それが存在しない山は杉花粉 の影響は少ないという。 先日帰省した息子が東京では殆どの人がマスクをしているのに、名古屋に来たら、 極希、田舎に帰ったら杉花粉の影響は全く見られないと驚いていたが、なるほどと納得した。
 もう山頂かと言う感じで、証拠写真だけ撮って、寺尾ヶ原千本桜を目指して下山開始。 間もなく、 砂地の小ピークに出る。 ピークの上には165号鉄塔が立っている。 下山道はピークの手前で左手に下っている。  ピークで景色を楽しんだ後、左手の道を下りる。 三叉路になり、右手の道に倒木がある。 地図でチェックしたら 左手へ行くと紅葉ヶ滝、寺尾は右の方向である。 今まで、倒木に散々道を遮られたので、これも倒木だろうと 安易に考えて、進んだのが間違いだった。 道が幾重にも別れ、どれも踏み跡が薄くなってくる。 そこで気が付いたのは、 三叉路での判断は間違いないと思うが、その前で既に道を間違えているのではないかと判断し、小ピークまで 登り返したら、ピークの先にもう一つの登山道があった。 標識が無いので、道だけを辿って進んだことが誤りであった。  その道を下ると、下の方から華やいだ騒音が聞こえてきた。  

    汾陽寺山 地図の中央「+」印が山頂の場所です

  <岐阜県武芸川町にて>

 




        汾陽寺山の下山道から寺尾ヶ原千本桜を望む                      寺尾ヶ原千本桜の桜のトンネル

 汾陽寺山から一気に下って、汾陽寺山と権現山の間を通る県道59号北野乙狩線の上に出ると、 見渡す限り、県道は車で埋まっている。 2000本の桜が並ぶと言われている寺尾ヶ原は満開の桜と 車で塗りつぶしたような状態。 鳥瞰図の様な風景を仙人になった気持ちで眺めながら、おにぎりを ゆっくりと食べる。 寺尾ヶ原に下りて、県道を北に向かい、桜並木の終点からあらためて南に戻る。
 それにしても、桜に加えて車の多さには仰天ものである。 桜並木の北の端から、車が駐車してある汾陽寺 迄1時間半も県道を歩く羽目になったが、その間全て車が並んでいて、車が吐き出す排気ガスをまともに 浴びる。 杉花粉防衛のためのマスクを取り出して装着したら、やっと一息付けた。  車の列はバス停「汾陽寺前」から更に南へと続いていた。、     

寺尾ヶ原千本桜 地図の中央「+」印が桜並木の場所です

<岐阜県武芸川町にて>


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21世紀からの山歩き