巴 山 (710m)       2004年3月13日


巴山山頂に建つ3つの川への分水嶺を示す碑(左)

 県道333号切山夏山線沿いにある「茅葺屋敷」を過ぎ、坂を登ると、右手に野外センターがある。  体育館の前にある駐車場に車を停め、標識に従い、巴山へのハイキングコースを歩く。  整備された標識に従って、高度を上げていくと、突然、車道と合流し、鳥居がある。  

 参道を登ると、巴山山頂に白髭神社がある。 その横に建つ碑は、ここが豊川と矢作川と男川の 分水嶺であることを示している。 東征する日本武尊が巴状に水が流れているのをみて、名付けたと云われている。

 叉、蒲郡の俊成祭りでお馴染みの歌人、藤原俊成がこの三川をうたった歌が刻まれた石碑がある。
 内容は「神代より、湧き出る水の巴川、幾千代経ぬと知る人ぞなき」
     「つるき立ち、三河の水の源の、巴山とはここをいうなり」
     「巴川、その水上と尋ぬれば、薄の雫、萩の下露」

  巴山 地図の中央「+」印が山頂の場所です

<愛知県作手村>



石筒ヶ根古戦場跡に建つ石積み(右)

 巴山山頂から南に下がると、広場があり、周りの山々が見える。 そこから更に南に歩くと、 作手の亀山城主奥平親子と武田軍の戦いの地である「石筒ヶ根古戦場跡」がある。  石積みがあり、横の解説板に次のような経緯が書かれている

 1583年8月20日夜、奥平貞能は作手を脱出し、宮崎滝山城に向かう。  武田方の作手古宮城の甘利晴春が追跡し、一戦になった。  戦いは亀山城から巴山、石筒ヶ根辺りまで続いたが、奥平方は無事滝山城に入ることが出来たという。

石筒ヶ根古戦場跡 地図の中央「+」印が古戦場跡の場所です

<愛知県作手村>

次のページへ

21世紀からの山歩き