米国からの帰国
1989年7月6日
研修生と女子大生のグループが合流し記念撮影。
7月6日木曜日、今日は米国滞在最後の日である。
第1回から第3回までの米国出張で、バトルクリークの現地工場を2倍に拡張する仕事の、
米国拡大プロジェクトのリーダーを担当した縁で、顔見知りが多い現地生産会社に顔を出す。
今回の最後の視察工場であるクレー社があるグランド・ラビットにかラマーズ経由で向う。
息子の副社長が対応してくれる、ローターやステーターのプレス加工品の現地調達の候補で、
時術的には合格点を付ける。
同行した現地技術者に、指摘した能力不足の設備に対し、
技術援助を続行する旨指示してクレー社を離れる。
今日は最後の日なので、現地生産会社の社長に経過報告をする。
最後の夜を迎え、現地会社の社長と共同出資会社の社長に内定しいるT社のK重役も出席して、
送迎会を開いてくれる。
7月7日帰国のためにカラマズー空港へ。
日本に研修に行く連中が同じ便だと聞いていたので、それらしきグループを見つける。
ユナイテッド・エアラインの双発プロペラ機でシカゴのオヘア空港へ。
ロビーには、研修生の一団が集まっていたので、話しかける。
私の工場に来る女性が予め皆に話してあったらしく会話がスムーズに進む。
日本企業に就職すると、研修で日本に来れるのが一つの魅力らしい、でも、
エリートは日本経営に対する違和感から退職するケースが多い。
ロッキー山脈の上空を通過してトランジットの成田空港へ。
待合室では、旅行気分の研修生と、これから海外へと云う、ルンルン気分の大阪から来た女子大生のグループと
合流して話が弾み記念撮影。
JL053便で職場に来る研修生と話しながら名古屋空港へ。
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