インディアナポリスから成田へ       1990年8月31日

 
 グリーン・ウッドにあるナチ・テクノロジー・インスティチュート

 インディアナポリスのウィスティンホテルにて、米国滞在6日目の朝を迎える。  出迎えに来ていただいた、ベアリングメーカーのナチの米国の子会社の社長の車に同乗し、 74号線から31号線に入り、南下してグリーン・ウッドに向かう。  グリーン・ウッドでは、ナチ・テクノロジー・インスティチュートがあり、ベアリングを現地生産している。  国内で生産している製品に、ナチ製のベアリングを採用しており、日本での生産工場も訪れたことがあり、 建前は、現地産のベアリング採用可否の視察であるが、内情は十分承知していて、視察はスムーズに終わる。  この視察で、今回の出張は全て完了し、後は帰国するだけである。
 今夜の宿のシカゴへの航空便までは未だ時間があり、工場に隣接して、 一寸したゴルフコースがあるの、覗いて見ることにする。  ヴァリー・ビスタ・コートは簡易ゴルフハウスがあるだけで、勿論、キャディーなどは居らず、 セルフのみで、コースも民家の間に作られていて、民家の窓にはボール避けの網が貼られている。  流石に土地の広い外国だけあって、長い一直線のコースが何処迄も延びていて、日本のコースとは大違いである。  社長自らパートナーをして頂き、初めてのコースにしては楽しくプレーできた。
 社長の車で空港まで送ってもらい、ユナイテッド航空でシカゴまでのチェックをしたが、出発時に国内で予約したのに 出発ゲイトで名前を呼ぶまで待ってくれといわれる。 トラブルがあると、一人旅は途端に緊張が走る。  並んでいた人が全員ゲイトを通過してから、係員が3人の名前を読み上げ、2人目でやっとゲイトを通過する。
 シカゴのヒルトンホテルにて7日目の朝を向かえ、日本航空の飛行機で成田空港へ。  日付は9月2日に替わり、成田空港の入国ゲイト前には、脚立が難題も並べられ、大勢のカメラマンがやってきた。  イラクの人質が解放され、帰国する歴史的な瞬間らしい。  今までにも、ガンジーの暗殺や、ブラックマンデーなど、歴史的事件を海外で向かえてことがある。  成田から名古屋空港経由で、8日間の旅を無事終えて自宅の門を潜る。
     ナチ・テクノロジー・インスティチュート  地図の中央がナチ・テクノロジー・インスティチュートです         <米国 グリーン・ウッドにて>
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第5回米国視察旅行