フンザ       1998年6月22日


 ナガール川のホッパー氷河(左)

 イスラマバードから955km離れた辺境の地であるフンザのホテルで朝を迎える。
 宿泊したダーバー・フンザ・ホテルからウルタルの山々、デュラン山(7273m)、ラカポシ山(7788m)が見える。  ホテルを出て散策する。 水路沿いの小道で姉妹に会ったあったが、11歳の姉と英語が通じるのには驚いた。  政府の教育方針らしい。
 朝食後、ジープでナガル氷河へ向かう。 ナガル渓谷で一休みし、地元の親娘に話しかける。  ナガル氷河のメインは、ナガル谷を流れるヒスパー川を埋めるヒスパー氷河で、ヒスパー峠まで続いている。  この辺りは、インドとパキスタンが主権を主張しているカシミール地方で、日本人観光客が来ることは先ずないらしい。
 氷河が溶けた水溜りは、コバルトブルーで見ごたえがある。  観光客と見て、子供が英語で話しかけてきた、お土産に水晶の塊を5ドルで買ってホテルに戻る。
 ナガール川のホッパー氷河  地図の中央が氷河です  <パキスタン ナガールにて>
 フンザとナガル氷河の風景を、  下記の「フンザとナガル氷河」のボタンをクリックして、50枚の写真でご覧ください。


 フンザを訪れたギルギットの中学生達(左)

 ホテルに居たら、玄関まえに、 パキスタンの奥地では、初めて目にする大型バスが到着し、突然、騒がしくなる。
 バスからは、着飾った女性たちが続々と降りてくる。  何処から来たのかと聞いてみたら、昨日、我々が寄ってきた「ギルギット」からだと云う。
 ギルギットからだと、パキスタンと中国の国境のクンジュラブ峠まで、フンザ以外は街らしい町は無い。  先生に連れられて、遠足に来たらしく、親元を離れて、開放感一杯という感じではしゃぎまわっている。
 成熟した娘に見えるが、聞いて驚いたことに、14歳の中学生だという。  パキスタンの奥地は、アジアでも最貧国の一つであるのに、どの子も綺麗な民族衣装で着飾っている。
 この地域では上流階級の子供たちが通う学校の生徒達だろう。  ギルギットの住民が日本人を見るチャンスは零に等しく、彼女達にとっても貴重な体験だったようだ。  今回のシルクロードの旅で、パキスタン女性と話した唯一の機会になった。
 パキスタンの美少女撮影を付き添いの男性に見つかり、飛んできたその男に叱咤される。  これから、アルチット・フォート見学と云ってバスに乗り込んでいった。
 ダーバー・フンザ・ホテル  地図の中央が建物がホテルです              
 ギツギットの女学生を、下記の「ギルギットの女学生」のボタンをクリックして、28枚の写真でご覧ください。


 バルテットから続くフンザ銀座通り(左)

 フンザ探訪の最初は、紀元909年に建設された、岩壁の上に建つ「アルテット・フォート」へ 。
 砦の真下にはフンザ川が流れている。 ホテルで騒いでいたギルギットの女学生達の姿も見える。  アルテット・フォートからバルテット・フォートに向かう。
 フォートに登ると、フンザ川越しにラカポシが見える。  先ほどのアルテット・フォートや「ホテル・ダーバーフンザ」も見える。  バルテット・フォートは以前領主だったミールの居城でだった。  城内にはかってミールが着用した洋服などが展示されている。
 バルテット・フォートを出て、フンザ銀座を歩き、フンザ名物の干杏やフンザ帽を買う。  フンザは長寿村で長老達が道端で談笑している。
 ミールの宮殿での野外パーティーに参加して、 ペシャワールから765km離れたフンザの夜を過ごす。
 バルチット・フォート  地図の中央がバルチット・フォートです  <パキスタン フンザにて>
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シルクロードを歩く