ペシャワール       1998年6月18日


 カイバル峠からアフガニスタンを望む(左)

 パールコンチネンタルホテルでペシャワールの朝を迎える。
 今日の目的地は、学校で、アレキサンダー大王も通ったと教えられ、数十年間も心の中に温めてきた歴史的な場所のカイバル峠に、 いよいよ行けることになった。
 峠は、原則的には立ち入り禁止になっていて、ペシャワール当局の事前の許可と、護衛のため、二人の警察官の同伴が必要だという。  ペシャワール警察署で乗り込んできた警察官を見て驚いた。  迷彩服に自動小銃持参という完全装備である。
 この地点より、外国人立ち入り禁止の掲示板が建った場所を過ぎると、パターン族の難民キャンプが続く。  峠の入り口に建つ、カイバルゲイトで一休み。  先日、ご婦人にカメラを向けた米人が銃撃されたからと厳重注意を受ける。
 更に先に進むと、ここからは、パキスタン政府の権限が届かない無法地帯で、パターン族の自治に任せてあると云って、 パターン族の軍人が更に2人、車に乗り込む。 二人とも10代の少年兵だ。  峠に近づく辺りで、この先は更に危険地帯といって、パターン族の先導車が我々を導いてくれる。
 カイバル峠にやっと到着。 峠は巾40kmの広い台地になっていて、 中央のランディー・コタールの町を通り過ぎて、アフガニスタン側の峠まで行き、遥か、アフガニスタンの国土を遠望する。  帰りも、仰々しい護衛に護られ、無事、ホテルに帰りつくことが出来た。
 カイバル峠  地図の中央がカイバル峠です              <パキスタン ペシャワールにて>
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 旧ペシャワールにあるモハーンバット・ハーン・モスク(左)

 ペシャワール市内散策のために、カブリ・ゲート付近でバスを降りる。
 カイバル・バザールからキッサカニワ・バザールへと、バザールの中を散策し、 ハイドパークを模して造られた、チョーク・ヤードガー広場に来る。
 広場には、戦争の英雄を祀る記念塔が建っている。  日本人と分かり、現地人に声を掛けられて、一緒に記念写真を撮る。  広場から西へ小道を入ると、金細工のセラファバザールがあり、華やかな金細工の店が並んでいて、 ドバイの金細工が数十軒も並んでいたバザールを思い出した。
 セラファバザールの横道を入ると、モハーバットハーン・モスクの裏に出る。  モスクの隣にあるキャラバン・サライの屋上に上がってみたら、モスクの中で礼拝する大勢のモスレムの 姿が見えた。
 セラファバザールからナズ・シネマ通りへ。  通りの西には巨大な砦のバーラ・ヒッサールがある。  再び、砦の南側のカイバル・バザールに戻り、ペシャワール市内散策を終える。
 モハーンバット・ハーン・モスク  地図の中央の建物がモスクです              <パキスタン ペシャワールにて>
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 ペシャワール博物館(右)

 ペシャワール博物館に行く前に、仏教の布教に関する点で、画期的な発見となった、 カニシカ王の仏舎利塔が発掘されたシャージャーキ・デリーへ向かう。
 発掘現場のストゥーパの後ろには、イスラム寺院が建っている。  現地人にとって、仏教史など興味が無く、ガイドも知らない、この地を訪れる日本人も全く無いらしい。
たちまちの内に、現地人に囲まれて見物の対象になってしまった。  管理人の娘らしい女の子が、余りにも美少女だったので、思わずカメラを向ける。
 赤砂岩で建てられたペシャワール博物館はガンダーラ美術の膨大なコレクションを誇っている。  等身大の写実的なガンダーラ仏が立ち並び、釈迦の事跡を綴った彫刻などが所狭しと並んでいた。
 博物館見学後、今晩も、イスラマバードから190km離れた、ペシャワールのパール・コンチネンタル・ホテルに 宿泊し、次の目的地であるスワット渓谷に向かう。
   ペシャワール博物館  地図の中央がペシャワール博物館です     <パキスタン ペシャワールにて>
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