ムガールサライとラジギール         2004年1月28日


 ムガールサライ駅のプラットホームに構えた売店(左)

 アグラ城見学後、夕食してからツンドラ駅へ。 駅までは1時間の距離であるが、夕方の混雑で 時間の予定たたないと、余裕をもって2時間前にホテルを出発する。  予定通り、2時間近くかかってやっと、駅に到着する。
 直ぐに、電車が来るかと思いきや、大幅に遅れていると云われ、暗いプラットホームで 立ち続け。 次から次へと来る電車もお目当てのものではない。
 ホームでは、暖かい夕食を拵えて販売している。 どうして、屋根のある所で無くて、外でやっているのかと 訝しがったら、屋根の横柱にはモズのような寄りがびっしり止まっている。 その為、屋根の下で待っている人の 人の頭の上に、ぽつぽつと何か落ちてくる。 現地の人は屋根の下が危険だと良く知っている訳だ。
 3時間遅れで列車は到着、目的地に着いた時はされに2時間遅れのインドの列車の旅であった。
<ムガールサライにて>
 ツンドラ駅からヤガの駅までの車窓風景を、  下記の「インド列車の旅」のボタンをクリックして、9枚の写真でご覧ください。


 アジアハイウェイから一歩横に逸れると別世界が展開している(右)

 ヤガの駅で降車して、ラジギールへ。 この道は、仏跡巡礼の外国人観光客が通るが、 外国人が良く通る観光路としては、インド最悪と云われている。  道は凸凹で、力車と同じ早さで走っても、体が上下しっぱなしで、 降りた時には万歩計が1万歩を越えていた。  道の傍らに建っているレンガ造りの壁には、丸い団子が一杯張り付いていた。  これは、燃料にするために、牛の糞を干している様で、どこの家の壁にも見られた。
 
<ラジギールにて>
 インドの郊外に広がる田園風景を、  下記の「インドの田園風景」のボタンをクリックして、20枚の写真でご覧ください。



西日で赤く染まった霊鷲山(左)

 現在のラジギールは、往時は王舎城(ラージャグリハ)と呼ばれ、お釈迦様の時代には マガダ国の首都であり、近くに、彼が説法したという霊鷲山(グリッダクータ山)あある。   時の国王ビンビサーラはお釈迦様に深く帰依し、ビンビサーラ王の道と呼ばれる山頂への参道を造った。  今回、その参道を歩き霊鷲山に登ることが出来た。  かって三蔵法師も訪れたという、マガダ国の首都である王舎城(ラージャガハ)は 現在ビハール州のラジギールである。 国王ビンビサーラはお釈迦さんに深く帰依し、 霊鷲山で説法するお釈迦さんに面会するために、ビンビサーラ王の道と呼ばれる 山頂への参道を造ったと云われている。

 ブッダガヤを訪れる観光客はあっても、ここ霊鷲山(グリドラ・クーラ)まで足を延ばす旅行者 は殆どいない。 参道を登って行くと、西日で赤く染まった霊鷲山が目の前に現れ、 山頂近くの香室跡のレンガが見えた。

  <ラージギル>
 王舎城(ラージャグリハ)の遺跡を、  下記の「ラージャグリハ」のボタンをクリックして、6枚の写真でご覧ください。


霊鷲山山頂付近の香室跡から夕日に向かって読経をする(右)

 仏教の著名な聖地である霊鷲山は日本ではあまねく知られており、 この山に因んで名付けられた山は全国に無数にある。  例えば、三重県伊賀市の霊山や滋賀県多賀町の霊仙山など身近に散見される。
 ビンビサーラ王の道を登ると、山頂付近の崖の上に造られたレンガ積みの祠堂(香室)跡があり、 お釈迦さんが好んで、ここに逗留され、しばしば説教をされたという。 その香室跡で、西の山に 沈む西日を拝みながら、読経をする。 

 香室跡の背後には、山頂らしき、やや小高い丘がある。 登山者の心理から山頂を目指したが、 足跡は直ぐに消え、人が踏み込みがたい岩場になる。 後ろから、現地の人に、「虎が出るから 下りてこい」と大声をかけられ、山頂に立つことは諦める。

<インド・ラジギール>
 霊鷲山の遺跡を、  下記の「霊鷲山」のボタンをクリックして、5枚の写真でご覧ください。


インド・ネパールを歩く