菅生川の紅葉         2019年11月29日



岡崎市の市街地を流れる菅生川(乙川)右岸の紅葉、                      鯉が泳ぐ菅生川の清流

 東京駅から新幹線に乗り、豊橋駅から名鉄本線で東岡崎駅に下車して北口に出る。  北口の正面にある、東岡崎駅前通りの東岡崎駅前交差点周辺の見慣れた景色を眺める。  みずほ銀行岡崎支店の前の横断歩道を渡って、左折して西に進むと、 32年前の同僚との忘年会場である竹取御殿東岡崎駅前店がある。  今回はそこで毎年行われる忘年会に参加するために、新幹線に乗って千葉から足を延ばした。  1986年の秋に、突然、会社のトップから社長の故郷である豊橋に、 世界シアが一番の製品のみの製造ラインを移設した、豊橋市内で最大、最新鋭の工場を建設する方針が出された。  各部署から選抜された5名の若手エンジニアーをメンバーとして、12月よりプロジェクトが発足した。  世界各地に工場建設が広がって行く中で、国内での本格的な工場建設はこれが最後と考えられていた。
 1986にスタートした池田工場の総合管理システムであるユートピア計画が、その後、各工場に展開され、 豊橋工場が最後の総仕上げとなるのではないかと意気込んだが、予想通り、その後、国内での新たな工場建設は行われなかった。  ユートピア計画とは、1950年頃、先進国の技術導入によって始められた単一工程の自動化が、1960年頃には、 自動化された単一の機械をつないでのトランスファーライン化が図られた。 奇しくも、1960年入社の配属先は、 その中心である専用機設計係で、設備設計の仕事であった。  1970年頃には各ラインを結び合わせた生産システムが確立され、最終レベルとして、工場全体の立体による合理化である ユートピア計画が要求された。  その計画とは、「従来の機械化に加えて物の流れの合理化と、情報の流れの合理化を有機的に結び付けた生産方式」 ―トヨタ生産方式をベースに製造ラインの合理化だけではなく原材料の手配から製品出荷にいたる物流情報システム、 生産管理システム、品質管理システムがコンピュータでひとつに結び合わされた総合的なシステムである。(デンソーグラフNo12  1986-6から抜粋)。
 工場全体が自立作用を持つ総合管理システムとして、「UTOPIA−豊橋」は豊橋製作所の工場で活用され、現在に至っている。  今でも毎年、その当時の興奮を尋ねて、忘年会の時期に集い会っている。  会社を退職して既に4半世紀、一緒に机を並べてから30余年が過ぎた今でも、長老として声を掛けてくれるのを楽しみにしている。  太陽が輝いている時間を活用して、乙川に架かる明代橋まで至り、現在、建設中の桜城橋を下流に望んだ後、 左岸の黄葉や紅葉を眺めながら散策し、ホテルで一服した後、会場に向かう。  久しぶりに会った同僚は、殆どが第二の人生を歩んでおり、入社間もなくの若者が役職定年を迎えたとの話で、 時間が流れた長さに感慨深いものがある。 今となっては、この機会がサラリーマン人生の唯一最大のイベントである。

     明代橋 地図の中央の矢印が明代橋です      <愛知県岡崎市唐沢町にて>
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