武蔵の国一宮の氷川神社参拝のため大宮駅で下車する。
大宮駅は、東北・上越新幹線と東北本線の宇都宮線と高崎線、
東武野田線、埼京線、京浜東北線の集合駅である。
大宮駅舎の2階の窓から東口駅前広場を望む。 左手に銀座通り、右手に中央通りが見える。
銀座通りを北に見ながら、 駅前広場から中央通りを東に向かって歩く。
中央通りを、大宮駅東口入口交差点迄歩くと、北西角に、派手な看板を掲げたまんが喫茶がある。
旧中山道が交差点を南北に貫いている。
中央通りを跨ぐ大門町歩道橋に上り、中央通りを東西に望む。
更に、東に歩くと、氷川参道と中央通りが交差する交差点が見えて来た。
氷川参道に到着。 参道は、さいたま新都心駅近くにある一ノ鳥居から続いている。
氷川神社参道は、欅を中心とした700本の樹木により、南北約2kmに渡り続いている。
中央通りから北側の氷川参道は「平成ひろば」と呼ばれ、散策路が造られている。
氷川参道は更に古い旧中山道と云われている。
江戸時代中山道は南参道を使用していたが、西側に街道を付け替えた。
氷川神社入口交差点の向こうに、二の鳥居が見えて来た。
氷川神社入口交差点は左右から、県道2号さいたま春日部線が交差している。
二の鳥居は木造では日本一の大きさを誇る鳥居で、1976年に明治神宮から奉納された。
二の鳥居を潜ると、明治天皇が行幸された様子が書かれた絵が展示してある。
明治天皇が入都されて、最初に行幸されたのが氷川神社だと書かれている。
昨年は、明治天皇御親祭150年祭の年にあたり、奉祝行事が行われた。
三の鳥居を潜と、直ぐ左手に「戦艦大和の碑」、右手には、神楽殿と額殿がある。
更に進むと、左手、神池の前に松尾神社があり、神池に架かる神橋を渡ると、正面に、氷川神社楼門がある。
1940年に造営された氷川神社楼門を潜ると、正面に、氷川神社舞殿がある。
氷川神社拝殿で参拝する。 氷川神社の主祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三神である。
須佐之男命祭神説は、日本武尊の東征時に勧請したとの説による。
社伝によれば、創建は第5代孝昭天皇3年4月という。
先代旧事本紀によれば景行天皇の代に出雲の氏族が須佐之男命を奉じてこの地に移住したと伝える。
成務天皇の時代に、出雲の兄多毛比命が武蔵の国造になった。
平直盛が平将門の乱において戦勝を祈願し乱を平定した。
1180年に源頼朝が土肥実平に命じて社殿を再建した。
大宮の地名は氷川神社を大いなる宮居と称えたことに由来する。
本殿の参拝を終え、楼門を出て、門客人神社と御嶽神社に参拝してから、大宮公園に向かう。
氷川神社
地図の中央の矢印が氷川神社です <埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4丁目にて>
氷川神社を、下記の氷川神社のボタンをクリックして42枚のスライド写真でご覧ください。
氷川神社を出ると、大宮公園に出る。
白鳥池がある。 池には小滝も見られ、緋鯉の姿も。
池の向こうには、紅色が映えている。 明治天皇の行幸記念碑につられて、日本庭園へ向かう。
寒紅梅は満開である。 公園には1000本の桜と樹齢100年を超える赤松林がある。
満開の寒紅梅の中を歩く。 寒白梅も満開である。
ボート池の西にある護国神社の鳥居の前まで来たが、道を間違えたのに気付き引き返す。
ボート池の南岸から、北岸へ向かう。 ボート池の北側にある「県立歴史と民俗の博物館」を覗く。
県立歴史と民俗の博物館の北に大宮公園弓道場があり、若者が的に向かって特訓中であった。
東武野田線の踏切を渡って右折し、盆栽村に入る。
東武野田線の大宮公園駅の前を通り過ぎると、左手に「けやき通り」があるので左折する。
けやき通りから東に右折すると、左手に「盆栽四季の家」がある。
盆栽四季の家の東には、採光盆栽教室の看板を掲げた「盆栽清香園」がある。
盆栽清香園から北に歩くと、盆栽が多数置かれており、団体の男性群が前を横切る。
蔓青園の盆栽で、一団は蔓青園の中へ入って行った。 蔓青園の直ぐ北に、大宮盆栽美術館がある
世界で初めての公立の「盆栽美術館」は盆栽村に隣接して設けられた。
盆栽美術館は盆栽の文化を広く内外に発信することを目的にしている。
館内に陳列された黒松、花梨、五葉松などの盆栽をジックリ眺める
盆栽に関する知識を会得して、盆栽美術館を後にする。
東北本線土呂駅から乗車し帰路に就く。
大宮盆栽村
地図の中央の矢印が大宮盆栽村です <埼玉県さいたま市北区土呂町2丁目24にて>
大宮公園と大宮盆栽村を、下記の大宮公園と大宮盆栽村のボタンを
クリックして34枚のスライド写真でご覧ください。