千住散策      2016年10月10日


   奥の細道矢立初め全国俳句大会が毎年開催される素盞雄大神神社

 奥の細道の矢立の初めの地を尋ねて、常磐線の南千住駅で降りる。  最初に訪れたのは、小塚原の刑場跡にある小塚原回向院である。  回向院下屋敷(現回向院)は刑場で処刑された供養を担っていた。  境内には、吉田松陰、鼠小僧、橋本左内、高橋お伝などの墓の他に、 蘭学を生んだ解体の記念碑の観臓記念碑、吉展ちゃん事件の吉展地蔵尊がある。
 回向院に隣接して、分院独立した浄土宗寺院の延命寺がある。  境内には、無縁供養のために、1741年に造立された石造りの延命地蔵菩薩である首切地蔵がある。  小塚原延命寺を出て、コツ通りから左折し、南千住仲通りを通って、日光街道へ右折する。  日光街道を北に進むと左手に門前町があった真正寺がある。  真正寺に隣接して、仏磨和尚が彰義隊を埋葬した彰義隊の墓と旧寛永寺の黒門が目を引く円通寺がある。  円通寺を出て、日光街道を進むと、南千住警察署入口交差点に出る。 更に北に進むとスサノオ神社がある。
 素盞雄大神神社は、795年に小塚の中の奇岩が突如光を放ったのが創建の始まりという。  境内には、樹高30mの天王社の大銀杏や旅立ちの芭蕉が使ったであろう道中笠と杖がある。  芭蕉が奥の細道へ出発した矢立初めの地が、千住の大橋の北詰か、この地の南詰かが、今でも論争の種になっている。  神社では「奥の細道矢立初め全国俳句大会」が毎年開催される。 芭蕉の碑の後ろには、素盞雄神社社殿がある。  平成7年に御鎮座1200年祭が行われた。 境内の富士塚には、祭神が降臨した瑞光石がある。  神社を出て、日光街道を進むと、前方に千住大橋が見えてきた。  大橋の手前左手に、780年頃の草創と云われる誓願寺がある。  境内に入ると、都会とは思われないほどの林が続く。 本尊の阿弥陀如来は聖徳太子の作と伝えられている。

     素盞雄大神神社 地図の中央の矢印が素盞雄大神神社です      <東京都荒川区南千住6丁目60」の地図にて>
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   千住大橋の北詰テラスにある蕪村奥の細道旅立ちの壁画

 千住大橋は隅田川に架かり、旧橋と新橋の二橋で構成されている。  旧橋を渡ると、北詰テラスに蕪村奥の細道旅立ちや、葛飾北斎の「冨富嶽三十六景」の武州千住、  広重の「千住の大橋」の壁画が迎えてくれる。  壁には、日本大橋の一覧表が見られ、東の大関に岡崎矢矧大橋が載っているのが印象的だった。  隅田川の上流には、可愛らしい東京電力荒川専用橋が見える。  東京都水道局の千住水管橋と旧橋の下を潜ると、3個のブイが見える。  伊達政宗が提供した、3個の橋杭が水中にあるという。
 千住大橋から北に進むと、足立市場前交差点に出る。   左が日光街道、右の細い道の旧日光街道である仲町商店街に進む。  入口右手に千住宿奥の細道プチテラスがあり、芭蕉の像が立っている。  京成本線のガード下辺りは、戦国の頃の青空市場に始まる「やっちゃ場」である。  商店街を進むと、左手に、千住宿歴史プチテラスがある。  千住仲町交差点の墨堤通りに出る。 左手に源長寺がある。  浄土宗寺院の源長寺は、石出掃部亮吉胤によって、1610年に創建された。  境内には、千住七福神の寿老人の地蔵尊がある。
 更に進むと、掃部宿憩いのプチテラスがあり、敷地内には説明看板が設置されている。  仲町商店街から「千住ほんちょう商店街」に入る、北千住駅に近いので、通りが賑やかになる。  地図を見ながら金蔵寺を探し当てる。 本尊は閻魔大王で、1335年の創建、千住宿の遊女の供養塔がある。  千住宿には、本陣・脇本陣のほかに55軒の旅籠屋があり、そのうち、食亮旅籠(遊女屋)が36軒あった。  赤門寺という通称で親しまれている浄土宗寺院の大鷲院勝専寺を最後に、千住散策を終え、北千住駅に向かう。

     千住大橋北詰の矢立初めの地 地図の中央の矢印が矢立初めの地です      <東京都足立区千住橋戸町にて>
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