宮城谷昌光の「古城の風景」B 桜井城址    2006年1月2日




              桜井城址の石碑(左)                              桜井城址の石垣(左)

 初詣のため、地元の小川神社に参拝後、宮城谷昌光の古城の風景で紹介されている「桜井城址」へ。  城址は県道44号岡崎西尾線沿いの桜井町の中央にある。  安城市教育委員会の説明版によると、「豪族小浦喜平治が城を構えたのが始まりで、1520年代 安祥松平初代松平親忠の三男である松平親房の居城になり、ついで2代松平長親の三男信定が城を整えた。  2代清定、3代家次、4代忠正、5代忠吉と継ぎ、1590年、6代家広が、徳川家康の関東移封に従い、 武蔵国松山城に移り、廃城になった」とある。  次に愛知県社である桜井神社に参拝する。 桜井神社は平安時代に桜井天神と記載されている古社で、 1527年に桜井城主松平親房が社殿を造営した。    

   桜井城址 地図の中央「+」印が城址の場所です

  <愛知県安城市にて>

   宮城谷昌光の「古城の風景」 A 石巻山城跡 2005年12月29日

   宮城谷昌光の「古城の風景」 @ 宇利城    2005年2月23日 BR>
    
  浅間神社が祀られている姫小川古墳(右)

 桜井神社参拝後、神社の北側にある二子古墳へ。  この古墳は、矢作川流域では吉良町の正法寺古墳に次ぐ大きさの前方後方墳である。  過日、現地説明会を聞きに、ノムギ古墳を訪れたが、 これが東海地方が発祥の地である前方後方墳であることが、邪馬台国畿内説の推進役になった。
 この地方で、4世紀の二子古墳に対し、周りにある多くの古墳が全て、大和王朝が勢力を 延ばして製造させた6・7世紀の前方後円墳である。  最後に、姫小川古墳に参拝して初詣を終える。
 この古墳は古墳時代前期後半の5・6世紀の前方後円墳で、 墳頂には、木花之佐久夜姫命を祀る浅間神社がある。

  姫小川古墳 地図の中央「+」印が古墳の場所です

  <愛知県安城市にて>

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