甘樫丘の紅葉
2005年11月16日
蘇我入鹿屋敷跡と推定される甘樫丘東麓遺跡(左)
明日香村の甘樫丘東麓遺跡を発掘中の奈良文化財研究所が、飛鳥時代の大化の改新で炎上したとされる豪族・蘇我氏の邸宅をらしき
建物跡を発掘したと、新聞に大々的に報じられた。
今日、現地で説明会があると、発見した豊島直博さんの顔写真入りで紹介されていたので、早速出かける。
めぼしい遺跡は殆ど回り尽くした明日香の地は、最近訪れる機会が少なく、現地説明会があると出かける今日この頃である。
今年の3月12日に入鹿の祖父に当たる蘇我馬子の屋敷跡である「島庄遺跡」
での現地説明会に訪れて以来である。
7時前に家を出たが、道路工事中の渋滞にも遭い、甘樫丘東麓の現地に着いたのは10過ぎで、週日にも拘わらず、
既に、多くの考古学フアンが詰めかけていた。
発掘された3箇所で同時説明が開催され、回りを人々が取り囲んでいたが、中でも熱心に説明していたのが、
新聞にも紹介された豊島直博さんであった。
「日本書紀」に蘇我蝦夷・入鹿親子が甘樫丘に建造し、大化改新の争乱で消失されたと記載された「上の宮門」「谷の宮門」との
関連が考えられる、同時代の土器や焼土層が発掘されたと言う。
現地説明現場 地図の中央「+」印が発掘現場の場所です
<奈良県高市郡明日香村大字川原にて>
甘樫丘山頂の豊浦展望台(148m)(右)
現地説明を聞いてから、背後の甘樫丘に登る。
川原展望台からは飛鳥三山の耳成山と畝傍山、豊浦展望台からは香具山がよく見えた。
その奥には、南から金剛山(1125m)や昨年の5月12日に登頂した「葛城山」(960m)、
更に、二上山、信貴山と続いた山並みが見える。
昼食後、飛鳥の地を散歩。
最初に訪れたのは、造られた年代も用途も不明な「亀岩」、次に、吉備姫王墓の中にある「猿岩」を覗く。
欽明天皇稜に参拝した後、前に訪れたことがある「鬼の爼」や「鬼の雪隠」へ。
豊浦駐車場まで移動し、推古天皇縁の豊浦寺・豊浦宮跡の太子山光原寺や天智天皇が日本で初めて造られた水時計の遺跡である
「水落遺跡」を回る。
日も西の雲の中に沈んだので、帰路につく。
途中、2003年9月2日に現地説明を聞きにやってきた「ノムギ古墳」の脇を通る。
この発掘も、邪馬台国の畿内説を決定付ける発掘だったなあと思い出しながら眺める。
甘樫丘展望台 地図の中央「+」印が展望台の場所です
< 奈良県高市郡明日香村大字豊浦にて>