都介野岳(631m)      2007年2月13日

 
    三陵墓西古墳から都介野岳(ツゲノダケ)を望む(左)

 古代の闘鶏(ツゲ)国があったといわれる都祁村の散策と都介野富士と呼ばれる都介野岳を目指して、国道25号線沿いの 道の駅「針」へ。  インターネットで入手した、近鉄沿線ハイキングマップの 「大和高原・都祁の里コース」 を片手にスタートする。
 スリバチ池を過ぎると、正面に都祁水分神社の森が見えてくる。  神社の鳥居の前では、地元の園児達がミニ運動会のかけっこをしている。  車の心配の無い長閑な田園地帯だ。
 由緒ある都祁水分神社(ツゲミクマリジンジャ)に参拝し、小治田安萬侶の墓碑を経て、来迎寺と国津神社に参拝した後、、 4等三角点がある都介野岳に登る。  頂には、登頂記録を示す多くの札が木に掛けられていたが、冬季にも拘わらす、展望も無い山頂なので、昼食だけで直ぐに下山する。
 都介野岳 地図の中央「☆」印が山頂の場所です                         <奈良県奈良市都祁南之庄町にて>
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 埴輪が並ぶ三陵墓西古墳から東古墳を望む(右)

 都介野岳から杉林の中を下る緩やかな登山道を進むと、視野が広がり、間もなく三陵墓東古墳が目に飛び込んでくる。  今日のコースの目玉は、古事記に出てくる古代の闘鶏国の王の墓と思われる古墳群である。
 三陵墓は古墳時代中期(5世紀)前葉に築造された西古墳と中期後半に築造された、大和高原最大の前方後円墳である東古墳、 それに南古墳の三つの古墳からなっている。  古墳は、頂にレプリカの埴輪が並び、斜面が敷石で覆われて、当時の面影を髣髴させる。
 今日のコースは登山としては物足りなかったが、歴史探訪のウォーキングと考えればまあまあであった。  しかし、今日も出発から到着まで一人のハイカーに出会うことの無い、静かなウォークだった。  興味ある広大な舞台を独占出来たという喜びよりも、やや寂しいと感じたのが正直な気持ちである。
   三陵墓  地図の中央「☆」印が山頂の場所です                  <奈良県奈良市都祁南之庄町にて>

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