光明山(540m)
2006年2月8日
遠州一の大パノラマが展開する光明寺跡展望台(左) 往時の隆盛を偲ばせる光明寺遺跡(右)
今日は静岡県だけが天気との予報に、富士山が見えるかとの期待を持って、三ケ日インターから国道362線を東に進む。
天竜川に架かる鹿島橋を渡って、二俣川沿いに国道を進むと、麓橋を過ぎた辺りが麓の集落で、林道大沢線の入口に、
「光明山登り口」の看板がある。
林道沿いに適当な駐車場所が無いので、奥に進むと、材木の切り出し作業をしている。
林道沿いに駐車場所があるので、そこに車を止め、作業している人に断ってから林道を奥へ進む。
谷の方から若い声が聞こえてくる。
この辺りは、天竜林業高校の実習林になってるので、高校生達の声だろう。
間もなく、林道が狭い登山道に変わり、沢に架かる丸木橋を渡ると、登りが続く。
やがて舗装された幅広の広域基幹林道光明線に出る。
登山道は直ぐに林道を離れ、ピークを幾つも越しながら再び林道へ。
直ぐに右手に旧道入口が現れ、巻き道を進むと、石垣に囲まれた光明寺遺跡がある。
この寺は、717年に僧行基が開創した明鏡山光明寺に始まる。
聖武天皇が金光明経を納めたのが光明山の由来という。
光明寺遺跡の本堂跡の前に設けられた展望台には、「遠州一の大パノラマ」と記された案内板が立っていて、常設の望遠鏡がある。
展望台からは、浜名湖やアクアタワー越しの遠州灘が見える。
本堂跡の後ろにある高台には富士山展望台もあるが、今日は残念ながら姿が見えない。
本堂跡から石段を下ると、仁王門跡があり、更に石段を下ると階段の横に当時を思わせる二対の石灯籠が立っているが、
両側の灯篭とも、頭部が落下して、そばに転がっていた。
石段を降り、左に曲がると、奥の院への道が続いている。
光明寺遺跡 地図の中央「+」印が遺跡の場所です
<静岡県天竜市>
二等三角点が立つ光明山山頂(左) 光明寺奥の院近くにある家康が隠れたと伝えられる岩(右)
光明山山頂付近は「天竜光明の森」と呼ばれていて、遺跡のある「遺跡の森」など5つの森からなっている。
光明寺遺跡から「遺跡の森」の中を通り、光明山山頂へ。 「遺跡の森」には寺遺跡の他、五人塚などの遺跡がある。
「自然観察の森」に入り、一旦、林道に出から、再び登山道に入ると、「展望の森」になり、山頂と奥の院の分岐点がある。
左手の道を進むと、休憩所のある山頂に出る。
梢に吊るされた小さな表示板により、ここが山頂であることが分かる。
足元に、二等三角点の石柱が立っているが、展望もなく静かな林の中の山頂である。
再び分岐点まで引き返して、奥の院へ。
先ほどから、黒い雲が上空を覆いだしたが、突然、雪が舞いだした。
富士山の展望場所からは谷間が空を舞う雪で霞んでいる。
防寒用にと雨具を持ってきたので、その点は心配ないが、まさか雪になるとは予想外の出来事であった。
気温は氷点下なのか、降ってくる雪もさらさらしていて、衣服を跳ねて飛んで行く。
奥の院の手前に「家康の隠れ岩」がある。
三方ヶ原の戦いの時に逃げ隠れたのだろうか。
家康のこのような伝説は、この地方に多くある。
確か、道の駅「鳳来三河三石」の裏にある「満光寺」も家康が信玄に追われて逃げ隠れたとの伝説を聞いた記憶がある。
奥の院の所在地が分らなかったが、手水鉢があった場所が跡らしい。
再び、光明寺遺跡の展望台に戻ったら、ここは風も無く太陽も顔を出して暖かかったので、一服してから下山を開始する。
登山道は整備されているが、里山特有の枝道が至る所にあり、登ってきた道を引き返した筈なのに、
気が付いて見たら登ってきた林道大沢線の東側沿いの尾根を走る旧参道を歩いているらしい。
先日買ってきたこの辺りの地形図「秋葉山」と「二股」を出して、コンパスで確認すると、このまま進むと「麓」の集落近くの
国道に出てしまうようだ。
右手に降りて谷に下ると、やがて登ってきた大沢林道の終点に出る。
それにしても、里山歩きほど、地形図の必要性が分った。
今日も、車を離れてから、再び戻るまで、誰一人も会うことのない静かな山歩きであった。
光明寺山 地図の中央「+」印が山頂の場所です
<静岡県天竜市>